◆250314 読書日々 1187 84回目の誕生日に
昨日は私の84回目の誕生日であった。上の娘が前日の12日なため、また私の不在が多かったため、私自身の誕生祝いはほとんど記憶に残っていない。今回は息子と規子さんと三人で、かなり充実した「晩餐」(ただし和食)を迎えることができた。有り難いことに費用は息子持ちだったそうだ。
私の前半生もかなり変動激しかったが、息子のそれは一層激しく変化したように思える。最大のものは、アメリカに留学して、コンピュータ社会の「洗礼」を受けたことだろう。
高校・大学・学部は私と同じだったが、イサカに進んでコンピュータ技術・社会に足を踏み込み、日本に戻って、どうにかこうにかその社会の住人になったようだ。50代、まさに新しい仕事口を得て、張り切っているように思える。
私が初めてパソコンで一冊まるごと書いたのは、『吉本隆明論』(三一書房 1980)であった。自著、27冊目だったが、海の向こうの息子の手引きなしにはとても不可能だったろう。そうそう、ハンドタイプのゲート・ウェイを何台潰しただろうか。このあと何年かは、吉本の「文章」が、ほぼ打ったままに出てくるのに驚かされ、ベストセラーとなった『大学教授になる方法』(青弓社 1991)の「文章」に乗り移っていったように思われる。
「団塊の世代」の「子弟」に当たる」コンシューマ世代と言われる私の息子・娘たちは、猛烈な就職難に襲われ、三者三様、何度も職場を変わり、それでも30~20年、耐えてきたように見える。わたしなどは、「非常勤」にしがみつき、常勤になっても、高校卒並みの給与に甘んじ、それでも読みたいものを読み書きたいものを書き続けざるを得なかったが、しかし、それこそ「薬」になっていたように思える。
それでも「幸運」だったのは、出版業界が10年遅れで「バブルの崩壊」を迎えたことだろう。私が、『日本人の哲学』『福沢諭吉の事件簿』『三宅雪嶺=異例の哲学』(すべて言視舎)の晩期三部作を出す余裕も、その「幸運」の故だろう。