◆250321 読書日々 「雅」を残す近藤正臣
1968~70年、大学院(哲学科)の学友たちがほとんど就職していった中だった。
「全国大学闘争」の最後の火が燃えさかる中で、阪大全学大学院協議会議長の引き継ぎ手がいないなかだった。ぽつんと取り残された当時の心境を、いまなおうまく語ることができない。
大阪工大や
経済大で非常勤講師をやりながら、家庭教師も続け、東奔西走の「超」多な毎日を送っていたのに、昼間は一人のときが多く、TVをよくよく見ていたように思える。
そんななかに、「柔道一直線」があった。主役は桜木健一だったが、ニヒルな柔道「青年」がいた。この作品で「ブレイク」(?)した近藤正臣で、すでに28歳、私と同じ歳だった。近藤は、どんな役でも器用かつ「陰惨」極まりなくこなす京都出身の美男役者で、最も印象的だったのは、司馬遼太郎原作「国盗り物語」の明智光秀、藤沢周平原作(この作品で藤沢はメジャーになった)「腕に覚えあり」の石森左門役で、「龍馬伝」の山内容堂役も忘れえない。
その近藤が、郡上八幡に家を「建て」、2017年からは、完全移住、川の畔に住むようになった。妻が、幼なじみの結婚相手(ひこ)で、そのひこが認知症にかかり、1年半前になる。
その後の独居生活ぶりがドキュメント番組(3/20)になった。
(わたしなど、妻が亡くなったら、その日のうちにへたり込む。しかし、子供とは同居したくない。否、してくれないだろう。)
近藤の立ち居振る舞いをカメラ越しに望見。骨と筋・シミだらけの完全なジジイだ。というか、痩せている。しかし、近藤、郡上八幡の住人にもなっている。京都人の「雅」を残している。
どこに行っても、住んでも「根無し草」同然の私とは大違い。1970年結婚し、池田の石橋に5年、75年津短大に職を得て、伊賀神戸に8年、札幌に戻って2年で父が亡くなり長沼に、そして2016年、家郷厚別に戻った。「根無し草」のように過疎地ばかりを選んで住んできたのは、私だった。
よくよく近所の人に言われた(と思える)。「お宅の旦那さん、いつ学校に行くの?」