読書日々 495

◆160225 読書日々 495
2000年、文庫の初刷りが5万を超えていた!!
1 昨日、青春出版の「忘れていい」読書をテーマに、一冊書き上げた。240枚、2月1日に書きはじめたのだから、多少頑張ったことになる。
 何度か、西の空高く煌々と光る月を見た。といっても、かつてのように、凜々と力が湧く、というのではない。美しいけど寒い、何の因果でこんなに早くから、という感慨のほうが大きい。疲れをどこに振り向けたらいいのか、……とりあえず、ススキノに行こうか。というわけで、今日は、飲んだら乗らない、で泊まりだから、通常より一日早く書く。
 それでも、どっこいまだ生きている。書いている。「長生きは簡単だ。」は最新刊の『死ぬ力』のメインフレーズだが、これはわたし自身のコトバかも知れない。まずいね。だからもう『日本人の哲学4』自然・技術・生活を書く方に心身が向いてしまっている。これには、どうすることもできない。
 ところで「4」は、中心概念が「自然」だ。「技術」はアートで、人工だが、自然の「模倣」であることに変わりはない。生活はまさに自然と人工が織りなす無意識だろう。今西錦司が、晩年、「自然科学」ではなく、たんに「自然学」あるいは「自然哲学」を提唱した意味は単純ではないが、「生物」には「知性」がある、という医学畑の古川俊之の議論と通じ、わたしにはおおいに同意するところがある。
 などということを、今日も、月に起こされて、冷え冷えとした部屋で書いている。
2 パソコンは記憶装置である。「忘れていい」というのは、コンピュータ社会のすべての分野に共通するモメントである。ところが人間は、記憶が苦手な存在なのに、記憶を消し去ることも苦手な存在である。コンピュータに代替していい記憶と、代替できない記憶の「境」は難しい。
 先日居間の照明を取り替えた。暗いのが実に辛くなった。新聞のTV欄が読みにくい。照明のスイッチが、リモコンタイプになった。暗くても、蛍光でボタンの位置がわかる。しかし、暗いから、ぼんやりしているから、なかなかスイッチがうまく押せない。これまでは、スイッチの位置が手の感覚に残っているから、暗くても押せたのにだ。見えることが、むしろ難儀を呼ぶ。でも、あと一月もすると、何の気なしにボタンを押しているだろう。生活の無意識〔オーダー〕だ。
 1996年、『パソコン活用思考術』(学研)を出した。売れなかった。2000年、新版で『パソコンで考える技術』(PHP文庫)を出してもらった。いまPHP研究所で人事部長をやっている阿達さんのおかげだ。ひょっと奥付を見ると、初刷りが51000部と鉛筆で記してある。桁違いとはこのことをいうのだろう。この本は、パソコン社会が急速度で進化したいまでも通用すると思うが、「パソコンで仕事はやり放題。」なのである。
3 『日本人の哲学4』は、おのずとパーソナルコンピュータが変えた世界を追考する、ということになる。PCはすでに成熟=斜陽化産業で、頭打ちだという意見が優勢だ。だが、人間、どこにいようと、何人〔なにじん〕だろうと、何語を使おうと、基本的かつ本格的な、したがって腰を落ち着けてする(concentrate on…)仕事は、パソコンとともにするのだ。もっともっと、快適で人間の思考にマッチしたPCができなくてどうする。高機能になっただけで、あいかわらず、スマート(〈身だしなみやスタイルがよく、しゃれた感じを与える様子だ。言葉が明快で、好感を与える様子だ。〉新明解+賢い=知的)とは無縁な機械である。それに肝心要の機能、「検索」機能が単純かつ素朴というか、無粋である。どうにかならないのか? それとも、一人に特化した、コトバの本当の意味での、パーソナルなコンピュータを注文する時代が到来しているのかな。
4 ひさしぶりに快晴のようだ。今日、娘家族が帰る。三人とも風邪気味だったが、東京はこれから春にぐんぐん近づく。羨ましい。