読書日々 772

◆160415 読書日々 772
竜馬ものが売れない理由は、司馬のせいなのか?
1 『評伝 山本七平』(言視舎)の見本が18日に出る。実に嬉しい。
 山本の主要著作は、すでに読んでいたし、山本については、『昭和思想60年』(三一書房 1986)の新装改訂版である『昭和思想の67人』(PHP新書)や、『日本人の哲学』1・3でも書いた。しかし、あらためてその生涯の全貌とつきあってみると、見落としたこと、見ていなかったことを含めて、多くのことが見えてきた。
 (1)最大のものが、イザヤ・ベンダサンと山本七平が、別な作家だということだ。方やベンダサンは、日本生まれでユダヤ教徒の日本教徒であり、山本七平はキリスト教徒独立派の日本教徒である。ベンダサンは、日本では極小数、否、一人である可能もある。対して、山本七平のようなキリスト者も、日本では稀だが、極稀ではない。
 (2)山本七平の異常な戦争体験は、かなりの程度知られている。だがその異常ぶりの程度を、クールに書くことができるようになったのは、敗戦後25年経ってからであった。日本陸軍は、日本社会の構造と相似形で、戦時体制は社会主義であり、陸軍はその精髄であった、というものだ。
 (3)山本がイスラエルに魅せられた理由と、旧約聖書の読解の特殊性。とくに、聖母マリヤ=売春婦=シングルマザーであり、山本の日本教徒たるゆえんは、「家族」に「神との契約」とは別な、特別の位地を与えていることだ。山本は『聖書』を最古の歴史として読むという、真っ当な歴史感覚がある。このセンスと「神との契約」とを密接につなげようとする。ベンダサンでは、不可能事だ。
 (4)死後、さまざまな形で、山本「著書」が出ている。でも、ベンダサン=山本七平==保守反動=軍拡論者などという、一見して異様で面妖な見解を生み出す素担っていないか? わたしとっては、ベンダサンも、山本七平も、革命派である。山本は、反「非武装中立」論であるが、軍備縮小論者で、反社会主義=民主主義派である。……
2 『寒がりやの竜馬』(言視舎 2015)が大量に売れ残ったそうだ。龍馬ものは、津本陽『龍馬』(角川書店 全5)でさえ売れ行きが伸びなかったようだ。剣を振るい、女を抱いた商人龍馬を思いっきり魅力的に描いた小説なのにだ。
 北海道にも龍馬フアンがいる。「龍馬会」も龍馬博物館もある。ま、スターだ。贔屓の引き倒しの類があって当然だろう。だが、実際に龍馬の親族が北海道に移住し、悲喜こもごもの活躍をしているし、いまもしている。そのヒストリーを、「英雄」伝風にではなく、等身大に伝える努力をしなくてはならない。龍馬をその欠点も含めて好きなわたしは、こう思っている。
 ま、司馬さんは、素晴らしく魅力のある抜群の龍馬像を創造した。司馬の『竜馬がゆく』やその「翻案」ものを読んで、他をほとんど省みない、という風になる理由がある。だが、龍馬研究家たちが、龍馬の「北方」行きを、「北海道」行きと「誤読」してきた。事実と異なる。当時、龍馬が盤踞していた下関(赤間関)の北は、どこだろうか? 拙著を読んでいただけると、目から鱗が落ちるようにわかるのだが。でもこれって愚知っぽいね。売れないのには、売れない理由がある。それが物書きの覚悟と思っている。
3 河村幹夫『シャーロック・ホームズの履歴書』(講談社現代新書 1989)を抜き出して読んだ。ホームズものは、聖典も、注釈書も、評論も、映画も、TVドラマも、マンガも、読んできた。マルクスがホームズに探偵依頼するパスティーシュまで、かなり読んできた。新しい発見はないが、みなそれぞれ面白い。でも、なぜに面白いのか? 一度ゆっくり分析してみる必要がある。
 河村著は、手堅く、ホームズものを読んで、この本を通読しても、見劣りしない。でも、ホームズの「狂気」とでもいうべきものに触れていない。残念な理由だ。