◆160610 読書日々 780
谷沢永一二巻選集(下)精撰人間通をゲラ校正中
1 谷沢永一二巻選集(下)のゲラ校正をしている。1読書通(精撰『署名のある紙礫』浪速書林 1974)、2歴史通(精撰『歴史通』ワック 2004)、3人物通(精撰『人生の叡智』『達人の知恵』PHP 1994・1995)、4時評通(精撰『[完本]巻末御免』PHP 2010)で、精撰「人間通」である。
セレクトだ。これが難しい。谷沢先生は、千変万化というか、百科全書的な知欲の人だ。読書・歴史・人物・時評のどれをとっても、山ほども書いている。その4ジャンルから各厳選して一冊を選び、さらにその一冊から厳選する。
1は、先生を論壇に送り出した出世作『完本 紙つぶて』(文藝春秋 1978)になり、計6度姿を変え、成長し続けた、文字通り、畢生の書である。先生は物書きとして、希に見る、「幸運」の人であった。
2は、先生が「昭和史のバランスシート」という副題で語り下ろした最初のまとまった「歴史」エッセイ、『「正義の味方」の嘘八百』(講談社 1982)の「改題・改訂・増補」版である。先生は幼童の頃からの「歴史好き」で、歴史エッセイは数多くあるが、『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 2004)という本まで書かずにはおかないほど、歴史癖であった。わたしの見るところ、左翼・唯物史観に対して、「司馬史観」を立てたのは、先生だったが、「司馬史観」が一人歩きを始めると、「司馬史観などというものはない」と断じたのもまた先生だった。
3の2冊は、谷沢版「忘れ得ぬ人々」の集成である。
先生は、書を、歴史を、時局を語って、倦むことなくそれにまつわる人物を語った。先生は、どんな権威にも筆をつけることを躊躇しなかった。しかし、その権威者に評価するところあれば、そのポイントに言及することをネグレクトしてない。辛口批評でならしたが、正価で評価することを倦むことなく試みた。日の当たらない人に光を当てることに意を砕いた。(ただし、その過半で、先生の意は通じなかったようだ。)その人物評は、類書によくあるような、罵倒の類いではけっしてなかった。
4は、雑誌『Voice』に、「巻頭言」ならぬ「巻末言」の装いで連載された時評の精撰(最後の10年分=120回)だ。先生の文字通り最晩年の血がにじむような一滴、一滴をわたしは読んでいた。谷沢先生は、2011年3月8日病没された。5年余があったというまにながれた。
2 河谷史夫『持つべき友はみな、本の中で出会った』(言視舎 2016.5.31)がとどき、ぱらぱらと読む。書評集(『選択』連載)で、前2冊も読ませてもらった。
同じ世代だからなのか、この集でも、かなりの数同じ本を読んでいる。渡部富哉『伊藤律・スパイ説の崩壊』、ハンナ・アーレント(映画も見た)、司馬遼太郎、米朝、斎藤愼爾『周五郎伝』、大西巨人、三好達治、中桐雅夫、桐生悠々、鶴見俊輔、高峰秀子、山本七平等々、かなりの数に上る。ただし、河谷さんが推奨する黒岩比佐子の本は、知らなかった。
当然、それぞれの読み方がある。政治に対する姿勢も異なる。わたしは、プラトンから、南部陽一郎まで読む(読もうとする)が、南部さんがアメリカに亡命したと思っていたのに(ノーベル賞受賞の2008年、「わたしは日本人ではない」と報道陣に向かっていった)、自宅のある豊中(大阪府)で2015年に亡くなった、ということを聞いて、何かホットした。