読書日々 800

◆161021 読書日々 800
雪が降る、関矢留作が甦る
 昨日、10/20は、朝日に紅葉が映えて、バルビゾン派の絵のような、えもいえぬ光景が自宅を包んだ。と思うまもなく、がーんと雷が鳴り、強風が襲ってくる。そして今日は、目を覚ますと雪だ。
 1 800回だ。週一で、皆勤だ。16年である。井上さんが助手のとき、どういうはずみか、「読書日々」を冊子にしようとしたことがある。わたしは、書いたものを本にしたい派で、この点、ブッキッシュといわれても甘んじることにしている。でも、最低でも800×4=3200枚だ。おそらく優に4000枚は超す。それに、なにをおいてもやって貰いたい仕事があった。
 その井上さん、宮藤官九郎を脱稿した。言視舎から出るそうで、4冊目、捨て身で書いたというからには、期待したい。それで、先週の月曜日、寿司で乾杯した。早めにホテルに戻って、長々と寝た。
 2 幸田露伴の『快楽論』を再読した。努力・修省・悦楽論とならぶ露伴人生論の白眉である。漱石や鴎外はこういう野暮なテーマの本は書かなかった。
 快楽論のトップランナーは東では孔子『論語』で西ではエピクロスだ。エピクロスは、「快=善=幸福」というテーゼを明確に提出した。ただし、エピキュリアンとは酒池肉林の刹那主義のように解されているが、まったくの逆である。過小な(自然的かつ社会的)欲望で生きることが幸福に生きるベストであると説いたのだ。エピクロスの園とは身に寸鉄も帯びない男女が乱舞する秘密の花園(アニマルランド)ではない。単純にいえば、必要最小限のエネルギー補給で人間関係に悩まされない生き方である。マルクスは、学生時代エピクロスを学んで(読んで)学位論文を書いた(したがってマルクスは社会的にはマルクス博士と呼ばれた。ただし卒業したとされるベルリン大学の学位ではなかった。)が、エピクロスの道徳(社会)哲学には何の関心もなかったようだ。快=善=幸福というテーゼの上に道徳哲学を打ち建てたのは、イギリスの哲学者たちで、そのトップランナーがD・ヒュームである。
 露伴は、大学を出ていない。自力で大教養(cluture)人になった人で、京都帝大に招かれたが、すぐに辞めている。(おそらく知的に劣る同僚と同じ空気を吸うのがいやだったからだ、と想像する。)その人生論は、ナチュラルで、禁欲的なところは少しも無く、人間の本性にフィットするだけでなく、じつに懇切丁寧な書きっぷりなのだ。
 日本でヒュームの再発見を目論み、熱心に説き、書いてきたのが渡部昇一先生(『新常識主義のすすめ』1979)である。また渡部先生は、露伴の信奉者で、その人生論を推奨することひとかどでない。『人生、報われる生き方』(1997)『幸田露伴『修省論』を読む』(1999)『幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法』(2002)という著作もあるが、露伴傾倒ぶりは、『随筆家列伝』(1989)に収録されている、70頁余りの露伴論に余すところなく記されている。できれば、先生の健康なうちに、ヒューム哲学と露伴の人生論の〈関連〉を是非とも書き残して欲しいものだ。
 3 『日本人の哲学4』の8「人生の哲学」は、ラインナップに苦しんだが、できた。松本広治『信念の経営』(東洋経済新報社 1971)以外は、すでに扱ってきた人と著書ばかりだ。松本は、大阪にいたときよく耳にした人で、谷沢先生も触れている。1904年生まれ、戦前非転向の共産主義者で、戦後の1950年に共産党を除名されたが、52年富士レジン工業を興した、伝説の革命家である。
 4 船津功編著『関矢留作』(亜璃西社 2016.9.30 527頁 7500円+税)が届いた。前々から船津(札幌学院大)さんが、関矢のことを書くということを桑原真人さんから聞いていたが、どうしたのかな、と思っていた。亡くなられていたとは知らなかった。でもこういう形で出たことはまさに慶賀に堪えない。一度、関矢宅を桑原さんに紹介されて、訪ねたことがある。野幌原生林は、女房の生まれた場所だ。
 長沼と野呂栄太郎や西部邁が、野幌と関矢留作(父関矢孫左衛門 野幌開拓)や久保栄(父久保兵太郎 野幌煉瓦工場社長、札幌商工会議所会頭)、栗山(角田)と泉靖一(東大文化人類学教授 祖父泉麟太郎 角田開拓)がつながる。まだ活躍している西部氏のほかは、これで藤本英夫『泉靖一伝』(平凡社 1994)をふくめ、評伝が揃った。