◆170203 読書日々 815
ときに、ヤコブの道を歩いた。犬の声しかしなかった
ここに来て、雪が降る。1985年、ここに越してきたときのことを、つい思い起こしてしまう。それとくらべれば、ずいぶん少なくなったと思えるが、除雪がゆきとどいているからなのか。
1 小さい活字の本が読みにくくなった。といっても新刊本を除いて、旧刊本の多くは、文庫・新書本を含め、小活字だ。読まざるをえない。だから、寝転がって読む本は、おのずと大きな活字本に限られてくる。「さ・え・ら伝記ライブラリー」は、子ども向けシリーズで、1960年代、30冊出版された。泉靖一や鹿野正直など、錚錚たる人が著者に名を連ねている。わたしの好きな宮本常一もその一人だ。14『辺境を歩いた人々』(1966)で、近藤富蔵・松浦武四郎・菅江真澄・笹森義助が登場する。富蔵は近藤重蔵の子で、殺人を犯し、八丈に流され、長く流人生活を送った人だ。『八丈実記』を残したが、新政府になって島を出たが、最後は「八丈よいとこ」と語り、そこで一生を終えている。この本に登場する人は主として、「北辺」を「歩いた」人たちだ。常一は28『南の島を開拓した人々』(1968)も書いているが、こちらは持っていない。なお常一については、『日本人の哲学5』の10「雑知の哲学」で「忘れられた日本人」という1節をとって述べた。「雑知の哲学」とは、「大学の哲学」(スコラ)と区別して、「愛知」(フィロソフィア)という原義をもっともよく表現する日本語と思える。常一はスコラ(スカラ)ではない。だが愛知者の典型だ。
武四郎は、開拓史の判官にまでなった人で、「北海道」の命名者としても知られる探検家で著述家だ。『カイ』という雑誌が、今ではデジタル版で続いているが、「北カイ道」をとったのだろう。三重にいるとき、三雲郡にあるその生家(記念館?)を訪ねたことがある。特段興味を持っていたわけではないが、当時は(いまも?)ど田舎だった。たしか武四郎の父は、本居宣長の弟子筋に当たったのではないだろうか。
2 林順次『日本古代史問答法』(彩流社 17.1.30)を戴いた。林さんは三一書房の編集者で、わたしを世に出してくれた一人だが、社を辞めてからは、古代史を中心とする物書きになった。大小20冊ほどの本を次から次に書いてきたが、この本は、古代史の「謎」31に答える、すこぶるまじめな本で、林さんの本にしては小さい本に属するが、とても読みやすい。わたしもご多分に漏れず歴史好きで、『日本人の哲学』を書かなかったら、日本通史(古代史編は書いて出している)を書こうと思ってきた。もちろん素人である。でも、わたしの「先生」(?)は、歴史を書かれたもの=フィクションとみなす人だ。これこそ真実で、他は嘘っぱちだという精神の持ち主とは、かなり違う。林さんは、そんなわたしとは違う。ただし編集者の時代は、わたしに『昭和思想史60年』『吉本隆明』『天皇論』『柳田国男』等々、およそ30冊になるか、を自由に書かせてくれた。こういう編集者がいなくなった。本を読まない編集者は、誰も書いていない本ではなく、誰かがすでに書いて多少とも売れているような本を書いて欲しいという。
3 小川洋『消えゆく限界大学』(白水社 17.1.10)を仕事で読んだ。アメリカでは大学は「消える」(perish)のが「あたりまえ」だが、日本では「稀」である。アメリカの短大(各種のコミュニティ・スクール)とはことなり、日本では「定員割れ」が一大問題になり、その起因に、短大問題がある、といわれて久しい。著者はそれを詳しく分析している。多としたい。だがいかにも日本的だ。
ヨーロッパの田舎の町の多くは、ほとんど人が住んでいる気色がしない。日本でいう「限界集落」である。でも、これが田舎の普通形なのだ。著者は「私立大学定員割れ」の原因や対策を具体的な事例を挙げてきちんと紹介している。とてもいい。わたしが勤めた大学は、「バブル」がつぶれ、今、「構造改革」(リベラルアーツと地域貢献を特質とする)中で、それがうまくゆくかどうかの真ん中にいる。わたしは注目をもって見つめているが、乗り切ることができる、という希望を強く抱いている。それは、存続の厳しいアメリカの大学と日本を比べた時、日本が「天国」に思えることからも来る。
80年代のバブルが潰れた。人はバブルに酔うが、潰れると、呪う。出版バブルは、90年代から05年くらいまで続いた。およそ15年である。わたしは「幸運」であった。仕事が出来た。いまも多少ともしている。