◆170707 読書日々 837
リラ(ライラック)は長沼町の「花」だ
暑い。といっても、窓を開け、午後の熱気を追い払うと、まだまだ涼しい。今年はジャイアンツが弱いから、TV観戦もほとんどなく、煩わしくない、といえば嘘になるが、ま、つまらない。
1 7/2の北海道文学館の講演では、ひさしぶりにというか、ほぼ4分の1世紀ぶりに、北方文芸関連の各氏とお会いした。講演のほうは、肝心の人の名前がすっと出てこないのには、往生した。今年は室蘭図書館に続く2回目の講演だが、どうもあと1つあるらしい。明らかに老化で、バネがゆるみ、方向舵がしっかりしない。まいるね。
2 鮎川信夫『本格ミステリーを楽しむ法』(1986)の本分460頁余のおよそ半分は、既読のものだ。再読に堪えるおもしろさだ。この人、エッセイにもミステリ(フィクション)を堂々と絡ませる(と述べているが、ただちに信用できない)。「酒中に真あり」 in vino veritas で、「酔うと本音が出る」というよりは、「酔った振りをして、本音を忍び込ませる」というふうにとってきた。もっとも、酔った(酒だけではない)人間(の言)を信用はできないが。自分のこととしても、これをいう。
鮎川ミステリのエッセイを読む場合、「幻の探偵作家」を探索した作家にふさわしく、さまざまな、素人・プロの作家の名が登場する。それも各人、種々のペンネームをもっている。そんなとき『日本ミステリー事典』(新潮社 2000)がとても役に立つ。というか、これがなければ、おもしろみが半減とはいわないが、ずいぶん少なくなる。権田萬治・新保博久監修で、この大冊は、ミステリ研究者の総力(?)をあげた感がある。わたしも『北海道はミステリの宝庫か?』(亜璃西社 井上美香共著 2009)を書いたとき、ずいぶんお世話になった。何せ、こちらはミステリのアマチュアだ。いちばんやっかいなのは、「作家」の名だ。出身地だ。たとえば南部樹末子(1930〔~2015〕)は、樺太生まれで、「出身」は東京。鮎川のエッセイ、アンソロジ等に何度か顔を出している。その鮎川はもとより南部等も、どんどん死んでゆく。新しい人が出てくる。そこいらをフォロするような「新」事典がぜひ出して欲しい。増補版で結構。それに、知の集積である事典編纂は、新しい研究者の登場を促す意味もある。
3 鮎川『リラ莊事件』(1958)は、鮎川の「初期」の著書だ。長編では、『黒いトランク』(1956)はもう出ていたが、二作目で、自作を述べた箇所で、プロットなりトリックなりが「スムーズに頭の中に構成されていった」と書いている。ただし連載中、反響は全くなかったそうで、(ただし鮎川作品は、なんども書き換えられるのを「特長」としている。)そう、わたしもこの作品は、プロットもトリックもその核心部分は分明ではなかったが、はっきりいって「ハッと」来なかった。自在に筋もトリックも出てきた作品とは思えなかった。というか、プロットもトリックも「すべる」のだ。それに秩父の山霧のように、終始ぼんやりしており、しかも「魔力」のごと動力が少しも感じられないのである。事件は、もうこれ以上ないというほどの「惨劇」だが、ふわふわしている。著者の手の中で踊っているに過ぎない。そう感じた。
4 妻が70歳になる。中澤千磨夫さんが、符丁をあわせたように、老夫婦を招待するという。夫婦で「食事」に出ることは稀の稀である。揃って招待されるなどは、中村夫妻、東直己さん(何度かよばれた)についで、3番目ではないだろうか? ただし、大勢に招待されたことは、何度かある。いずれも、別離のときだった。
そういえば、馬追山の自宅で、ガーデンパーティ(?)をかなり盛大に毎年続けてやったことがある。「招待」されるのは苦手だった妻も、招待するのは、それを準備するのは、楽しそうだった。そういう盛事も遠い昔の楽しい思い出になった。この馬追とも、この夏で最後だ。
さ、新しい場所で、新しい作品に取りかかろう。準備(?)はできた。