読書日々 843

◆170818 読書日々 843
アベノミクスの命運
 冷夏より問題は、日照不足らしい。長沼は、米・大豆・小麦の主産地で、この天候不順は大きな被害をもたらすかも知れない。30余年前、こちらに越してきたときは、耕地の8割(?)以上が水田に思えた。5月、田植え時には、長沼を覆う大湖が出現し、馬追丘陵に向かって冷風が吹き上がった。この大湖の寿命、半月ほどの短さだったが、美しく、神秘ですらあった。ところがそれが消えた。小湖さえも見ることが出来なくなった。モノカルチャーの美しさが消え、雑色さながらに変じたのだ。
 1 その長沼の、ドン真ん中のしかも水田地帯の真ん中にあった障害者施設で働いていた元職員(女)3人が、お盆休みで訪ねてきた。住んでいるところもたがいに遠く離れている。そこの理事長を10年ボランティアをして、辞めてから15年である。3人とも変わっていない。といっても大きな子どもがいる。どんと変わってしまった。当然だ。自分の子どものように思っていたが、3人ともそれぞれ違った意味で、母親の典型である。親は、自分がやろうとして出来なかったことを、子どもに願う(らしい)。それが子どもの励みにもなれば、節介にもなる。むずかしい。ま、その節介が、いらぬ節介となり、「凶」となるまで、止まらない。止めなければ、と思ったときには、もう遅い。
 2 安倍「一強」のパワーが、バッシングを受け、減退した。どんな公正で強力な政権でも、否、そういう政権であればあるほど、対抗馬がいないと、「安易」になる。党規を変更して、総裁「任期」の延長をした。プーチンや習が採る手法と同じ方向に、無意識に進んだ。多数決を活用してだ。一度勢いを失ったのを盛りかえすのは、ハードだ。軌道修正せずに成長戦略を維持し、憲法改正に手をつけるのは、至難だ。だが不可能ではない。
 この議論に基本素材を提供するのが、伊藤元重『伊藤元重が警告する日本の未来』(東洋経済新報社 2017/6/15)だろう。伊藤は、元東大教授で、アベノミックスの推進役の一人だが、企業やマスコミの意見に広くアンテナを張り、世評ではグローバリストと思われているが、技術革新に目配りよく、バランスのいい国益に敏感な自由市場論を詳細に論じている。
 本書は、米大統領トランプの登場によって、保護主義の危機が到来したと大騒ぎするジャーナリズムに対し、アメリカ・ファーストを旗印に保護主義を先導してきたのが、アメリカであり、その同じアメリカが保護主義の籏を捨てて、自由市場経済の旗手になんども返り咲いた、歴史事実を、ていねいに紹介してゆく。政治経済は、どちらもアメリカ・ファーストをめざしてだった。
 対して、『日はまた沈む』(1990)や『日はまた昇る』(2006)で著名な、知日家でもある国際ジャーナリスト、ビル・エモット『「西洋」の終わり』(日本経済新聞出版社 2017/7/5)は、トランプの登場を、保護主義(強権・孤立・排斥)=反動と「自由」と「豊かさ」への挑戦として受けとる。もちろん、議論はさまざまな話題や歴史事実に及んでいるが、日本を「西洋」の一員と位置づけ、「自由」と「豊かさ」の終わりを、トランプの登場で印象づけようとするのは、ジャーナリストの習性としては当然といえるが、日本ファーストや都民ファーストを、「部族主義」などと切り捨てられると、おやおやと思わざるをえなくなる。
 3 厚別で4日、ほとんど部屋を出ずに、仕事に費やした。ようやく210枚に達したが、書き残しが多すぎる気がする。あと50枚書く。
 4 鮎川哲也の落ち穂拾いが続く。『悪魔博士』(1983)は、少年ものと馬鹿にはできない。なかなかのものだ。最新刊を脱稿したら読むために、三番館シリーズの3冊、『サムソンの犯罪』『太鼓たたきはなぜ笑う』『材木座の殺人』をそろえた。
 なお『プレジデント』(10月号 8/28発売)で、「愛と笑いの人生相談」に登場する。ちょっとしたスペースだ。お笑いください。