◆180309 読書日々 872
榎本武揚嫌いの子母沢寛!?
昨日から、しとしとと雨が降る。長雨だ。馬追山にいたときは、山肌に積もった雪が融け、山肌を削って土砂を流し、道路めがけて流れ落ち、ときに坂道を川筋状に下ることもあった。三島由紀夫風にいうと、「春の奔流」をなしてだ。ま、厚別では排水溝が塞がれ、大きな水たまりができるので、かえって始末が悪いが。「春一番」が吹くと、三寒四温の初春がやってくる。
1 戦前から戦後期にかけて、日本小説史に欠すことのできない2作品が生れた。子母沢寛『勝海舟』(1941~46 連載)であり、山本周五郎『日本婦道記』(1942)だ。この2作品がなかったら、司馬遼太郎も藤沢周平も生まれなかった、と推断している。じつに「文学」は、他のものと同様に、否、以上に、「文学」から生れる。周五郎は、この作品を書きえたからこそ、「周五郎」になりえたし、のち「周平」の諸作品が誕生しえた、といっていい。子母澤や山本が、吉川英治や山手樹一郎と異なるのは、この代表作を書きえたからで、日本時代小説、否、小説の歴史に残る作品でもある。この2作品に谷崎潤一郎『細雪』と横光利一『旅愁』を加えると、戦間期の小説の「高峰」(ビッグ4)をいえるのではないだろうか。(などとたいした数の小説を読んでもいないくせに、こう確信している。そうそう、クリスティの初期長編に『ビッグ4』があったっけ。スーシエのドラマは見たが、小説は読んでいない。駄作に違いない。)
子母澤は、エッセイなどを読むと、榎本を主人公にした『行きゆきて峠』などとは違い、よほど榎本武揚を嫌っていたように思える。政治家とは見ていないし、軍人としては戦略も戦術もほとんどない、学術(arts and sciences)エリート意識紛々で、のちにいう新帰朝者とみなしている。などというと嫌みに聞こえるだろう。
たしかに榎本は西欧仕込みのエリートで、外交・通信・文部・農商務等の大臣を無難(以上)にこなしている。まさにそつない行政官(官僚)ぶりを発揮している。といっても薩閥(黒田清隆)の後ろ盾があってのこそだ。榎本や龍馬を、北海道「独立」あるいは「開拓」を目した先駆者のように、いまなおおだをあげる人がいる。ま、ご自由にといいたいが、さらに不可思議なのは、子母澤が何で「韜晦と逃亡」を決め込んだ小笠原長行(幕末の老中)に肩入れするのかも、よくよくわからない。政治家に学や芸は必要ない、とはいわない。だが、「決戦」を回避したり、「韜晦」を決め込むなどの政治家は、(そう福田赳夫を想定していうが)、ファーストリーダーにはなれない。チャーチルや吉田茂はもとより、田中角栄や小泉純一郎にさえなれない。
2 わたしは、物心ついたときから現在まで、「日本は戦争に負けてよかった。」と思ってきた。ただし、鶴見俊輔の、戦争(惨劇)よりも平和(ホールドアップ)の方がいい・ましだ、といいたいのではない。日米戦は回避「可能」であった、とも思える。だが、政府も軍部も、産業界も、そしてなによりも国民の圧倒的多数が、「屈辱」よりも「開戦」を切望し、初戦を歓呼の声で迎えたのだ。
世界No.1とNo.2のパワーが正面から戦ったのだ。日本は負けたが、戦って負けたからこそ、石橋湛山が敗戦直後に看破したように、国家社会主義の政府・政治家も、軍部も軍需産業も姿を消し、日本の再出発が可能になった。吉田が、朝鮮戦争の出来で、アメリカ(占領軍)が強要する再軍備を拒否したのは、再軍備したら、旧政治・軍部・人と軍需産業・人がいまだうようよしており、再び頭をもたげてくると確信したからだ。アメリカが「配給」したデモクラシイの波を当分かぶることなしには、再軍備=軍需国家の復活を恐れたからだ。この現実脅威が1960年になくなった。
もし日本が、勝っていたらどうなったか? あるいは完膚なきまで打ち負かされていたからこそ、戦後日本の「復活」(新生)はあった。これが戦後世代(アプレゲール)に属するわたしの、多少ともねじ曲がった感覚であり、「アメリカさん、ありがとう、でも出て行け!」という日本ファースト(独立)の意識だ。3学年上の西部邁と多少違う意識だ。