読書日々 871

◆180302 読書日々 871
行きゆきて諭吉
 昨日は、終日雪が降った。今日は、娘一家の引っ越し手伝いで、女房が上京して4日目だ。風が強いが、長沼にいたときは家が揺れたのと比べ、古マンションとはいえここは風の音だけだ。終日、読書とTV観戦だった。
 1 子母沢寛『突っかけ侍』を読了。丸々4日かかった。ずいぶん前に「速読」したときとは違って、じっくり読むと、じつにじつに、当時(「みやこ新聞」1934.3~36.7 連載)の大衆小説の典型だと思える。一編(といっても1頁2段組の全集版で上下2巻800頁超)は、「突っかけ侍」「松村金太郎」「はればれ坊主」からなる三部作で、影を貫くのは、ときの老中小笠原壱岐守長行だ。ずっとのちに『花と奔流』で長行を表の主人公にした作品ができあがる。
 ところが『突っかけ侍』の大部を占めるのが、女たちの男思い・追いの長丁場なる顛末ドラマだ。「速読」のときはここを端折って読んだため、難なく読めた。が、ここを読むと、縺れに縺れた色恋沙汰の連続描写なのだ。ま、吉川英治の『鳴門秘帖』や『宮本武蔵』だって、男を追う女の必死を描かなくちゃ、客呼びのための新聞「連載」にはなりえなかった、という事情がある。
 あと一つ、榎本武揚の命運を描いた、寛最後の長編『行きゆきて峠あり』を再読しなくてはならない。子母澤全集を処分してしまったので、ことは始末が悪い。アマゾン発注なのだ。
 寛は、大衆小説=時代小説の二期生だ。第一期を飾る中里介山『大菩薩峠』の地の文が「です・ます」調だ。読み始めは妙な感じがする。『突っかけ侍』も最初は、「です・ます」調だが、しばらくすると「だ・である」調に変じてゆく。「です・ます」調は、だれにでもわかる・親しみやすい調子を出す、ということだが、「です・ます」調の典型といえば、講談・落語の語りだろう。この作品に落語名人、五遊亭五朝(三遊亭円朝)が出てくる。五朝のモデル円朝は、現代小説の成立に大きな影響を与えた。二葉亭四迷『浮雲』等の言文一致=口語体の成立にだ。『突っかけ侍』の最後が、符牒をあわせるように、小坊主出身で五朝の弟子になった一朝(落語家)と壱岐守(文人)の掛け合いで終わっている。寛の文学要素(エレメンタール)の合奏だろう。
 2 なかなか福沢諭吉に戻れない。というか、中途半端で放り出したい気分になってしまうのだ。諭吉は、「痩せ我慢の説」(明治24)を書き、勝海舟と榎本武揚を批判した。だが、死(明治34年2.3)の直前(34.1.1)に発表された、曰く付きの「書」だ。諭吉が、縁もゆかりもある両人を批判したが、10年近く発表しないで過ぎたのだった。諭吉はなかなかの激情型(パッショネイト)の人だということを勘案すると、この発表形式は微妙だ。悪くすると、イタチの最後っ屁に当たる。
 たしかに両人批判の論はしっかり立っている。だが、諭吉は一時(といっても幕府重大危機時)に「幕府による文明開化」派に属し、第二次長州(尊皇攘夷)征伐の激越な建白書を、老中小笠原壱岐守(征長総督)に提出したご本人なのだ。ただしこの建白は、長州海軍に破れて小倉から我先に逃げ出した壱岐守には届かなかった(ようだ)。「不問」に付されたわけだ。諭吉は、薩長政権はもとより、憲法発布・国会開設問題でも、「官民協調」を唱えながら、政府「批判」の急先鋒であった。だがその立ち位置は、じつに微妙なのだ。delicateといえば聞こえはいいが、 doubtfulでもある。『福翁自伝』には、このデリケートでダウトフルな点が、意識的に隠されている。隠さなくても、諭吉の言説・行動が日本(人と国)の前進に果たした役割はいささかでも減じるものではない。そこのところのざっくばらんな展開が、諭吉を難しくさせてしまう。というか、ブラックボックスになっている。腕の利かせどころなのだ。
 「事件簿」だ。諭吉の致命的な失敗を含まない物語などは、まっこと味気ない。そう思える。