◆180511 読書日々 881
「霧の会」に曾野さんがいた
8日、新札幌にある歯科医院で歯の定期治療を終えた後、地下鉄で街に出た。ひさしぶりに「草地」にいくが、連休疲れなのか、今日は客がまばらだ。かつて55ビルにあった千葉ちゃんの店の話になり、すぐ近くで相変わらずやっているとのことで出かけた。多少迷ったが、なかなかいい店に変わっている。最大変貌したのが、店主の千葉ちゃんで、ほっそりというか普通の体形になっている。魚の味の方は変わりなくよく、安い。すすきの大通りを越えることがおっくうになってきたが、「さわらび」とここは、ゆっくりできると思える。
1 山村正夫『推理文壇戦後史』(双葉文庫 全3巻 単行本・73~80)を、他に手元にない場合、厠上本として、ぱらぱらとめくっている。文壇史といえばすぐに伊藤整『日本文壇史』(全18巻)を思い起こすが、大村彦次郎『文壇うたかた物語』 (1995)『文壇栄華物語』 (1998)『文壇挽歌物語』 (2001)の3部作と『時代小説盛衰史』 (2005)は欠かせえない。この二人は、文学(者)としてもとても上質だ。
山村の文壇史をめくっていると、ときになるほどという箇所に出会うことができる。とにかく同時代のミステリ作家との出会い・関係が密に描かれているからだ。羽仁悦子を中心としてできた「霧の会」は女流作家の「親睦」会だ。編集者の原田裕(講談社)の仕掛けで、新章文子(女傑?)が切り回すという会だったが、初回から夏樹静子(新人)が入っている。会の名「霧の会」は夏樹の案にちがいないと思っていたが、「事実」だったことを了解できた。この会には、南部未樹子や芦川澄子(「愛と死を見つめて」、のち鮎川哲也夫人になる)が加わっていたことを(鮎川等の文章で)知っていたが、曾野綾子さんが加入し、お得意のパーティを開いて仲間をもてなしていたことなどは、まるで知らなかった。もっとも曾野さんも、その旦那の三浦朱門さんも、ミステリを書いているが。
2 エラリ・クイーンは編集者としても類がないほどの成果を残した。その一つ、短編ばかりを集めた『クイーンズ・コレクション2』は、「情況証拠」という主題で、新人・ベテランの作品を収録している。ミステリの甘美さは、「物証」にではなく、「情況証拠」の確実性いかんにかかっているように思える。作品のなかにはめ込まれた、ミスリーディングを許さない描写が、見えない犯人の没落を導く鍵となる。それを見逃したときの(読者の)落胆よりも、作者の手腕に甘美(ゴールド)を味わうことができる。
3 三宅雪嶺(雄二郎)の4部作は、『東洋教政対西洋教政』(2巻 1350枚)に入った。「教政」は、「善」を対照とするもので、スピノザ『エチカ』や西田幾多郎『善の研究』と同じ主題を追うものだ。もっと明確にいえば、アダム・スミス『道徳感情論』が「教」に当たり、『国富論』が「政」に当たる。この「部」は、「真」(自然科学)や「生活」を対象領域としたときよりも、道徳科学を対象としているので、より雪嶺やわたしに親しい。しかしそれだけにやっかいだ。ま、わたしのほうも、『日本人の哲学』を書いたので、多少気持ちが太くなっていることはある。とにもかくにも躓きたくないね。
4 たんたんと日が過ぎてゆく。淡々であり、坦々だ。何かまだ自分のなかに力が残っているようにも思えるが、それはこれまでの延長線上のことで、新規物に臨むべくもない、と思える。
2018年は、マルクス生誕200年、北海道150年に当たる。そういえば、1968年は、明治100年だった。この年、文学部の大学院生協議会と教師(有志)で、明治百年反対集会=講演会を開いた。院協やわたしとは敵対関係にあった日本史の黒田俊雄が講演した。昨日のことのようにも思えるが、遠い昔である。黒田さんももちろんもういない。「昭和も遠くなりにけり」だ。このころ「研究」も「就職」もまるで霧のなかにあったが。道がかすかに開ける1973年まで、まだまだ遠かった。