◆181019 読書日々 904
愛郷に戻って1年
1 厚別に引っ越しして、1年たった。この間、ぼーっとしていたわりには、なんだかんだと仕事をしてきた。本当は、人生の「残務」にではなく、「整理」(断捨離)に精を出さなければならなかったが、まったくもってそうはならなかった。そして相変わらず「残務」整理に目が向いてしまう。「いつ整理するの。死んでからでしょう。」なんてね。
2 16日、中村嘉人さんの事務所を訪ねた。中村さん、脳梗塞だったそうで、ずいぶん痩せられたが、それでも90歳少し前、元気を取り戻したよう。わたしは病気を話題にすることがとても苦手で、病気見舞いはさらに尻込みする。『脳死論』(三一書房)を書いたり『死の力』(講談社現代新書)などを書いているくせにだ。つねに後手後手を踏んでしまう。
中村さんの事務所を出て、時間が余った。南2西7にある「パスタ」を覗いたら、まだ開店に間があったが、堤ママの顔が見える。飛び込んで、寒さでかじかんだ手で清酒を飲んだ。ほっとする。しばらくして、大家のマロさんがやってきた。4時半に店を出て、「亘」に向かう。かつての同僚倉島さん堀川さんと会食するためだ。
二人とも、耳が遠くなっている。わたしもかなり耳が悪くなっているが、お二人、とくに堀川さんは機器をつけても難聴に近い。それでも、林、上原、鈴木といういまはなき同僚の話で盛り上がる。現役のときも、退職してからも、元同僚と会ったのは、ましてや会食などというのは、はじめてではないだろうか。会が終わって、三人できらくでしばらく飲み、別れた。最後はいつものように女房の送迎車で。
3 福沢諭吉の事件簿、Ⅲを再び書き始めた。100枚ほど書いて中断していたが、札幌の金玉均の節から再開である。一度中断すると、再スタートが難しい。Ⅰ・Ⅱ800枚余はかなりスムースにいったのに、Ⅲは難産な理由だ。
金(亡命者)が札幌に送られてきたのは丁度130年前で、レンガ造りの道庁舎が完成し、金の新築官舎の目の前に威容を誇った時期に当たる。「事件簿」だから、ミステリ仕立てをもくろんでいるが、フィクションとはいえ、大きな脱線は慎もうというブレーキがかかる。ここが困る。ところが金玉均は、甲申クーデタ(三日天下)の首謀者でありながら、正真正銘の朝鮮人で、祖国の独立開化を目指しながら、独立の必須要件である、資金も軍ももたない、他国にオンブにダッコなのだ。これを支援しようというのだから、諭吉も苦慮に苦慮を重ねなければならない。
ところが日本政府の監視下で孤立する金は、やがて、朝鮮の自力による開化独立は不可能と主張し、諭吉と同意見に移行するのはいいとしても、李鴻章の「使者」の誘いに応じ、上海に渡り、暗殺されてしまう。ところが……。
このⅢ部では、いよいよ、福沢由吉〔ゆきち〕の娘、由江が活躍を始める。天真流という、あらゆる獲物が武器になる武術を縦横無尽に発揮する美丈夫だ。
福沢諭吉の著作、日清戦争に連なる時代の日清鮮の複雑な関係に関する関連著書、文献等々をかなり読んだが、諭吉の朝鮮問題に関する認識は、深まり、鮮明になることはあっても、「錯誤」に陥ることはなかった、と思える。(ま、いつもの過信とも思えるが。)
4 小室直樹の評伝(上下)を読んだ勢いで、小室直樹『論理の方法 社会科学のためのモデル』((東洋経済新報社 2003)と『経済学をめぐる巨匠たち』(ダイヤモンド社 2004)を読む(再読)。小室の本は長沼に置いてあるので、『……巨匠たち』はアマゾンで買った。今月中に、小室の本を全部もって来なくてはと思っているが、まずいかもしれない。また、小室にとらわれ、「事件簿」の方がストップしてしまうことを恐れる。
5 『大コラム 平成思潮 後半戦』(言視舎)が続けて出ることになった。今度は500頁近くなる。「日刊さっぽろ」(後続「日刊ゲンダイ」)で連載したコラムの集成だが、半分ほど割愛している。12年間連載し続けたのだから、我ながらよくぞ大量に書いたものだ。というかよくよく書かせてもらったものだ。鈴木編集部長に感謝のほかない。