◆190215 読書日々 921
官僚たちの夏
朝、明るくなるのが早くなった。日の出は6:30とあるが、その前に目が覚め、起きている。起きるのは、目覚めではなく起床と心得てきた。起床して、すぐ仕事をする。これを学生時代から習慣にしてきた。それで、寝過ごしたことはない。目覚時計も必要ない。70年の習慣だから、旅に出たときは少々厄介だ。都会だといいが、外国や田舎だとぶらぶら散歩もできない。変な外人(奇人)とみとめがれかねない。もっとヴェネチアでは薄明かりの中迷路をぶらぶら歩いて、突き当たりの酒場(?)にたどり着き、何度か、飲み助と席を同じくすることができたが。もちろん酒のみのわたしでも、ふだんは、午前から酒は飲まない。
1 歴史とか習慣を視野の外に置いて、ものを考え、なにごとかを発起し、実行しようという人がいる。正しい理論だから、あるいは、みんなで決意すればできる、という議論で、上手くいったことをみたことはない。
わたしはドラッカー(1909~2005)を抜きん出た哲学者の一人とみなしている。その処女作『経済人の終わり――新全体主義の研究』(1939 東洋経済新報社 1963年)は時代の趨勢を予言したドイツ国家社会主義批判の書だ。日本にも戦前・戦後、社会主義者はいたが、その多くは国家社会主義に飲み込まれていった。否、正確にはその社会主義は国家社会主義の亜流であった。
『傍観者の時代』(1979)は、デビット・ヒュームの衣鉢を継ぐ、「観察=傍観者」となって自分の人生を論じた、もっとも成功した自伝の一つである。このドイツを逃れ、ロンドンを経由してニューヨークに逃れてきた一匹狼は、その『ラスト・ワード』(遺言)が日本人に向けられたものであった。そこでドラッカーは、日本人の「定年」は75歳になる、(平均的)日本人は75歳まで仕事ができると断じた。もちろん、働くべきだ、という論ではなく、働くことができる、という観察=認識で、したがって年金社会主義とは異なる予測である。
ほとんどの本はわたしの手許から消えたが、ドラッカーは残った。わたしの幸運の一つだろう。
2 ミステリチャンネルで、「官僚たちの夏」をTVドラマ(TBS 2009 全9話)を観た。城山三郎原作で、なかなか冷静に見ることができない内容だった。城山は、「ケインズ革命」で卒論を書き、きわめて良心的な作家とみなされてきたが、TVは大河ドラマを含め、よく見てきたように思う。だがわたしの読書歴にはない作家だった。
「官僚たちの夏」は、通産官僚(ミスター通産省と異名を取り、事務次官まで上った)佐橋滋を主人公とした、官僚主導の日本丸時代の物語だ。
佐橋は、人脈的にいうと、戦前の岸信介(商工大臣)を中核とする国家統制経済(国家社会主義)の継承者だ。池田勇人ではなく佐藤栄作(岸信介の弟)に連なる。官僚主導の経済政策を貫いた豪腕官僚であった。貿易の自由化と国内産業の保護育成は、今日でも難しい問題だ。否、自由貿易論を論じた18世紀のアダム・スミスの時代だって、難問だった。イギリスが覇権を握っていた19世紀だって、アメリカが覇権を握った20世紀だって、覇権国においてさえ難問だった。その連続線上に現在のUSトランプ政府のアメリカファーストという矛盾に富んだ、したがって切実な問題がある。公約の実現推進がある。
なぜかという、まさに今日のあらゆる国家・社会に共通する、富国(富民)と強兵(自衛治安)の問題だからだ。どちらかに目を閉じて論を張ったり、生きることのできない問題だ。
3 「なぜ人を殺してはいけないの?」という問題が、ひところ問題になったことがあった。人類の歴史や習慣を離れて、この問題に接近すると、とんでもない方へいってしまう。
わたしの最も簡単(単純明快)な答えは、人間の三大タブー(禁忌)論だ。
1.人肉食の禁忌:人間は人間を食べてはいけない。
2.近親相姦の禁忌:父は娘と、母は息子と、兄は妹と、姉は弟と性交してはいけない。
3.殺人の禁忌:人は、同族(共同体のメンバー)を殺してはいけない。
なぜか? 人肉食・近親相姦・殺人は、最上の欲望充足で、最も簡単で確実な方法だからだ。(わかりますか?)