読書日々 923

◆190301 読書日々 923
ミステリ福沢諭吉が「完成」した
 3月に入った。予報では、一段と気温が上がるらしい。うれしいね。
 1 昨日、そういえば閏年の28日だったから、ようやく「福沢諭吉の事件簿」を2月中に書き上げることができたことになる。(ああ、元同僚の長谷部さんの何回目の誕生日だったのかな?)これで今年の執筆予定の第一は、形のうえでは「済」。
 といっても三部作で、第三部はまだ素稿段階にすぎない。それでも感慨も新ただ。
 何せ2011年以降、間断はあったが、暇に任せて、毎年のようにつきあってきた。
 第一部は5稿、第二部などは7稿になる。わたしの書き方は、何度も著作で書いてきたが、前日書いた部分を、翌日書き直し、それから新しい部分を書き継ぐというもので、いたって平凡な方式だ。
 第三部は、諭吉論の「空白」部分とでもいっていい「晩節」期のもので、その空白をわたしなりに埋めたいという思いをつめこんでいる。
 2 といってもわたしもとうに「晩節」期に入っている。ジタバタしないつもりでいるが、拙著『晩節を汚さない生き方』(PHP新書 2010)を自分に突きつけたらどうなるのか? あるいは『理想の逝き方』(PHP文庫 2012)や『死ぬ力』(講談社現代新書 2016)に照らしてどうなのか?
 とはいえ、「死」をテーマにした著作ではなくても、誰を論じようと、何をテーマにしようとも、「死」と「生」はつねに背中合わせだ。
 田中美知太郎は、プラトンの人生はその著作のなかにある。それ以外の細々とした事蹟のあれこれは「傍証」にすぎない、というような主旨のことを『プラトン』で書いていた。わたしは拙著『日本人の哲学』で論究した哲学者(知を愛する人たち)を同じように遇したつもりだ。
 それで問題になるのは『福翁自伝』である。『学問のすゝめ』とともに、諭吉の著作でもっとも読まれているといっていい。
 だがこの自伝と最後の著作、『福翁百話・余話』と比較してみるといい。なんとまあ、別人が書いたとしか思えないのだ。前者は「腐儒」の洋学者福沢で、後者は「諭吉の論語」よろしきなのだから。
 3 司馬遼太郎は、自分を語ること少ない作家だ、まず「自分」のような卑小な人間を語るなんて恥ずかしいだけじゃないか。自分をゼロにして語ろうとするとき、自ずとペンが動く、という主旨のことを書いている。
 だがこれを逆算すれば、司馬は書いたもののなかにしかいない、ということを高唱していることになる。とんだ嘘つきだと思われるかもしれないが、書いたものが「おまえだ」といわれるのは、「もの書く人」の誉れだろう。
 わたしが「書評」を本業と思う・思われるほど多く書いてきた。はじめは「偶然」であると思えた。しかし何を書くにも「本」によるというのが基本になった。
 「本」じゃない。「現場」に立って、リポートする、それがわたしのスタイルだ、と思っている人、そういう人にかぎって、見た・聞いた・書いたで終わっている。だれが書いた、どんな視点で書いたのかのない、だれでも書ける報告の類で終わっている。つまらない。
 司馬が夭折した。残念ながら「街道をゆく」が中断された。司馬の「物語」である。レポートではない。厚い歴史層とその歴史の上にはじめて姿を見せた現在を絶妙にミックスさせた小説で、紀行文ではなかった。いや紀行とは、「街道をゆく」体のものだといいたかったに違いない。残念至極であった。
 「諭吉の事件簿」の最終巻に、三宅雪嶺、司馬遼太郎、西部邁を登場させ架空対論におよんだ。三人の口を通して、いくつか重要なことが明らかになった(気がする)。鷲田は迷探偵の類だ。鮎川哲也ミステリの謎解き(さえ)もほとんどできない。だからこのミステリの探偵役は影武者福沢由吉で、諭吉より十歳ほど若い天真流の達人になってもらった。竜馬よりも強いよ。