読書日々 947

◆190816 読書日々 947
『昭和史の授業』と「終戦記念日」
 生温かい風が吹いている。台風10号の「余波」(接近)である(らしい)。
 昨(15)日、「終戦」記念日といわれる。「戦争の惨禍」を忘れない、というのなら、まず4つのことを忘れてはならない。
 1。8月15日は、「終戦」日ではない。日本国政府が「ポツダム宣言」受諾(8.14)を「発表」(玉音放送)した日だ。拙著『昭和史の授業』(PHP研究所 2004)で以下のように記した。
《戦争において、「敗戦処理」、これほど難しいものはありません。
 第一に、降伏=停戦協定です。
 イタリアは、昭和一八年九月八日、降伏しました(ということになっています)。
 ドイツは、昭和二〇年五月七日、無条件降伏しました(ということになっています)。
 日本は、昭和二〇年八月一五日無条件降伏しました(ということになっています)。
 イタリアの「降伏」時、イタリアにはドイツ軍が駐留していました。国王と政府は、秘密裏に、連合国と交渉し、ドイツ軍の一掃を条件に降伏(文書)を申し出ます。もちろん、そんな虫のいい要求(条件)が飲まれるはずもありません。敵に同盟軍を売り渡すイタリア政府の裏切りがばれたら、ドイツ軍は黙っていないでしょう。それで、イタリア国王と首相、国防軍首脳は、国外逃亡してしまいます。結果、国家は無条件降伏になります。
 ドイツ軍は、五月七日に無条件降伏します。しかし、暫定政権を、交渉相手として連合国側は認めません。「政府」は存在しない、とみなしたのです。国際法上からいえば、ドイツは征服され、国家は消滅します。戦後の西独と東独の二つの国家は、文字通りの新国家です。
 これに対して、日本は、ポツダム宣言を受諾して、降伏します。軍は無条件降伏ですが、国家は無条件降伏でないこと、明白です。
 ところが、日本が無条件降伏である、という通念ができあがります。なぜでしょう?
 占領下で、アメリカが無制限の権限を振るい、日本国家と国民に、あたかも無条件降伏であるかのような現実を強いたからからです。
 ポツダム宣言は、たしかに、日本政府を交渉相手にはしない、といいます。しかし、現実には、停戦処理をしたのは鈴木貫太郎内閣であり、敗戦後、鈴木内閣を受け継いだのは皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ)内閣です。九月二日、新政府は降伏文書に調印します。正式には、この日が「終戦」日となるはずのものでしょう。》
 2.。第二次世界大戦は、連合国(英米露等)側と基軸国(独日伊等)側との戦争といわれる。だが、《三つの社会主義の戦いでした。第一グループは日独伊の国家社会主義です。第二グループは、共産ロシア(共産シナ)です。第三グループは、国家資本主義(ニューディール=社会主義政策)です。
 自由主義・民主主義vs全体主義・ファッショでは断じてありません。第三グループは、自由主義・民主主義です。第一・第二グループは、全体主義・ファッショです。その度合いにおいて、第二グループの共産のほうが、全体主義・ファッショが強いのです。》
 3。日本政府の対米戦争は誤りだった。だが天皇・日本政府・軍・財閥は、米(大人)に日(子供)が挑むような、無知で無謀な戦争に日本国民(無辜の民)を引き込んだ、というのは「脚色」だ。
《初戦は日本の圧倒的な勝利の連続でした。国民の戦意は沸騰します。
 昭和一七年六月のミッドウェー海戦で、初めての敗北を喫します。
 太平洋戦線の岐路は、昭和一八年二月、日本軍のガダルカナル島からの撤退でした。ヨーロッパ戦線で、ドイツ軍がスターリングラードから撤退する時期と重なります。
 開戦時、軍指導部は、日米開戦すれば、物量とも、一年半は持ちこたえることができる、と言明しましたが、ほぼその通りになりました。
 日本は、最強の敵と、三年半余にわたって、戦いました。しかも、主戦力はシナに張り付いたままです。(もっとも、アメリカ軍もヨーロッパに張り付いていましたが。)》
 4。第二次大戦の戦勝国は英米仏支露といわれる。だが米と露だ。
《第一次大戦後、アメリカと日本が戦勝国として、世界の命運を握ることになります。同じように、第二次大戦後、戦勝国であるアメリカと共産ロシアが世界の命運を握ることになります。日本と日本人は、当分の間、固有の領土である四島で「逼塞」を余儀なくされます。》
 *「技術」の問題はさらに順延しました。来週に。