読書日々 946

◆190809 読書日々 946
『殺意の風景』と『君たちはどう生きるか』、『思考の整理学』
 昨日から暑さの向きが変わった。今日は、早朝から雨だったが、雨が止み、今(12時)湿度が落ち、24・9度で、室内でさえむしろひんやりしている。これが北海道に住む快適さの条件だ。といっても、暑さ惚けで、快適で、むしろ疲れが出はじめたが。最暑時(今週月曜)、墓の掃除にいった(何年来か憶えていない)。まずいことに妻もわたしも脱水状態になった。
 1 宮脇俊三は、何度も記したが、鉄道作家である。その全集がpdf.版で出ているが、わたしは「紙」で、それも単行本で読んできた。その中に、やはり鉄道を使った異色の短編集、『波』連載の『殺意の風景』(新潮社 1985)がある。1985年度、泉鏡花文学賞を受賞したが、「殺人」ミステリではなく、あくまで「殺意」の「風景」である。18話中合格点をつけたのは3篇で、とくに高千穂峡を舞台にした作品がいい。ま、わたしも一度訪れたことがある峡谷だったこともあるが。
 宮脇さんの作品は、この作品集にかぎらず、小さなドラマが挿入されているところが秀逸だ。
 わたしがもっとも感銘を受けたのは、敗戦日、父親(元国会議員)と一緒に、株をもっていた亜炭鉱山(山形県大石田 *あの斎藤茂吉が敗戦後、疎開していた 「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」<白き山>)「視察」のため、東北は長井線の今泉駅で、敗戦の玉音放送を聞いたときの情景だった。「時は止まっていたが汽車は走っていた。」(『時刻表昭和史』角川選書 1980)である。
 宮脇の鉄道狂は、戦前(爆撃中)も、戦後も止まず、村上に疎開していた母たちとの連絡係になり、鉄道に乗れるは、田舎は食糧難などなかったはで、食糧難は戦後、鉄道「難」も戦後にやってきたことがよくよく分かる。『時刻表昭和史』は、戦「時」下の貴重な証言集となっている。
 2 「君たちはどう生きるか」や「心に太陽を、くちびるに歌を持て」などは、殺し文句だ。それを書題にしたのが、山本有三編集の「日本少国民文庫」で、吉野源三郎(1899~1981)『君たちはどう生きるか』(新潮社 1937)はその一冊だ。吉野は、この文庫完結後、岩波に入り、新書版を発刊、戦後、『世界』(岩波書店)の初代編集長として、「オピニオンリーダー」の一人となった。
 正しくは国民(とくに進歩的知識人)をミスリードした一人で、(丸山真男と同じように「隠れ」)共産主義者だった。『君たちは……』は岩波文庫に入り、最近も漫画化されるなどして、ニューマニズムと反戦平和を謳う、「戦後」民主主義の青少年版としてバイブル視されてきた。
 マルクスは、<自然主義=人間主義=共産主義>の三位一体を掲げ、何の実証もなく、共産主義こそ最高・最良の人類史を貫く人間解放万能理論だとした。ヒューマニズムも反戦平和も、共産主義(思想)において解決されるという、まことに素朴かつ麻薬的な思想で、「疑問」をもつことを説きながら、解答は、あらかじめ「不問」に付されている「?」(共産主義=ユートピア=どこにもない世界)にあるとする一種の「麻薬」に似ている。ここには「技術」論がない。
 『世界』は、日本政府の「単独」講和を批判し、「全面」講和を主張した。事実は、「単独」とは大大多数国」との講和で、ソ連と中国(共産主義国)との講和なき「独立」を否定した。あまつさえ、中国には「蠅」の一匹もいない、北朝鮮は「地上の楽園」だ、と読者と国民をあざむき、ベトコンには北ベトナム軍(共産軍)はいない、民族「解放」軍であると主張した。「詭弁」や「真っ赤な嘘」で固めた論だが、ばれても「世界」は恬として羞じなかった。それが「正義」であるとしたからだ。
 3 拙著『自分で考える技術』(php 1993)と『哲学が分かる事典』(日本実業出版社 1993)は、『大学教授になる方法』(青弓社 1991)同実践編(1991)が売れてはじめてベストセラーになった、そしてわたしの作家の方向を決めた二つの著作である。文庫本を含めれば、おそらく二著とも10万部をかなり超えていると思う。二つとも「哲学」を論じているが、キイ・ワードは「技術」だ。
 外山滋比古『思考の整理学』(筑摩書房 1983)がある。ロングセラーで、「学」を標榜している。しかし一読すると、「思考の整理法」あるいは「技術」であることがよくわかる。(以下「技術」については、次回で詳論する。)