読書日々 952

◆190920 読書日々 952
真善美・人類史の全貌
 朝起きると、まず清水で洗顔、濡れた手で首筋をなでる。ルーティンだ。今日はゾクッときた。部屋の温度は21度、涼しさを通り越している。長沼の書斎の今頃の室温は20度を切っていた。さすがに鼻水が止まらない。標高、0地帯から二〇〇メートル余上ったところにあった。石狩平野の「全貌」(?)が見渡せるところで、文字通りの仕事場だった。学生時代の学生アパート、2畳窓なしと比べると別天地だ。25年前、つれあいとそのアパート(岡村さん)を訪ねたが、空き地になっていた。待兼山の校道の途中、崖下にある古屋だった。
 35の時ではなかったろうか、金もないのに、女房が仕事場を作ってくれた。いまは伊賀市になっているが、上野市の南端、長田川沿いの新開地だった。この団地もいまは老いている。わが厚別は、比べてどうか?
 1 三宅雪嶺『宇宙』(総論)の各論、四部作、「真・善・美+人類の生活」を主題にした文字通りの哲学的百科全書である。とはいえ、主宰する雑誌に連載されたこの「遺稿」集、総五〇〇〇枚を超える長尺で、ほとんど(まったく?)内容に触れられることがなかった。その「摘要」(ノート)を作り、終わった。長尺にはひるまない質だが、目が弱った。筑摩文学全集と同じように、3段組で、活字が小さい。でも、面白いというか、シナ・西欧・日本の歴史=比較を主軸にした展開である。それにもまして頭が弱った。参ることしきりだが、致し方ない。
 次いで「歴史」論に入る。すでにかなりの部分は読了しているが、『福沢諭吉の事件簿』のⅢでは雪嶺の主著『同時代史』(全6冊 岩波書店)の世話になった。この書で、日清戦争(朝鮮戦争)の起承転結が目の覚めるがごとく明らかになる。(とはいえ、歴史で、鮮やかすぎる解明は眉に唾が慣わしだが。)雪嶺の歴史「書」は、同時代史(万延~敗戦)と時局(昭和6~敗戦)と人物(英雄)史の三位一体になるが、谷沢先生がはじめて述べたように(『読書人の立場』1977)、司馬遼太郎の幕末明治期人物(歴史)評価の基軸になった。
 2 相撲がはじまると、5時(夕食)、スイッチが入る。女房はなぜか白鵬、わたしは貴景勝がひいきだ。ベテランと新鋭(?)の違いがあるが、どちらも強い。ま、白鵬の引退は2020のオリンピックまでもつかどうかの瀬戸際に来ている。貴はもちろん横綱を張っているだろう。
 三役から「一気」に大関になる力士には、大鵬、北の湖、貴乃花がいた。三人ともケガをしなかった。白鵬タイプだ。対して、千代の富士は、ケガ(左肩脱臼)を重ねた。貴景勝は膝を痛め、大関陥落。だが、一場所休んで復帰を決めた。強い力士には「運」が必要だ。朝青龍が「追放」にならなかったら、白鵬時代は来たかどうか? ベテランが衰えると、一気に若手が台頭する。オリンピックはまさにその瀬戸際、潮時になるのではないだろうか。
 3 昭和初期から敗戦時まで、各紙新聞の「主張」はどうだったのか? 「大学は出たけれど」の時代があった。清水幾太郎が独特のアナーキーな文体(名文)で書いている。それが10分の1くらいに薄まった「氷河期」、わたしの子供たちの時代だ。もちろん教師をしていたので、ゼミの子たちも大いに苦しんでいた。
 でも、満潮があれば引潮がある。大学院を終えても、哲学ということもあったが、一度も研究職の口がかからなかった。代わりに、同情されて(か)ドイツ語非常勤の口が開け、33歳、3人目の子ができたとき、あっというまに大学院学生の就職口が開かれ、わたしにも「研究」職が友人の引きで舞い込んだ。ま、塞翁が馬である。
 満州事変で日本の景気が復調し、あたかも朝鮮戦争が戦後復興の起爆剤になったかのように、「大学は……」は解消し、(活字の上で識っている)「左翼」が満鉄に集団をなして雪崩れ込み、国家社会主義の実験さながら、日本政治経済の牽引役を支えた。高橋亀吉もそのなかの一人だった。その高橋(民間)が、戦後日本の高度成長経済の可能性と実現を「予測」し、下村治(官僚)と覇を競った。わたしの識っている「歴史」は一端にすぎないが、雪嶺の「轍」を踏んだりなんかして。