読書日々 961

◆191122 読書日々 961
藤沢周平全集が残っていた!
 「寒いと」と毎度毎度書いているが、今日は少し緩んだか? 室からほとんど出ないので、外気のことは身にしみていないが、二日続けて、切符を買いに厚別駅まで出かけた。寒風吹きすさぶというほどでもないが、北海道特有の、下から吹き上げる風圧で、身が固まる。
 1 夏目漱石をはじめて読んだのは、いつのころだったか? 国語の教科書に(たしか)載っていたはずだが、小学生のころからではなかったか、教科書に載るようなものは読まないと漠然と決めていた。しかし漱石の実作品に接してみて、そのほとんどすべてが「教科書」に載っていいような類のものではなかった。その重要といわれる作品がいまでいう「不倫」小説といっていい。しかし時代小説の類は別にして、よくよく読んで影響を受けたのは漱石と開高健の作品群である。漱石も開高も、職業作家として、小説作品数は多くはない。漱石の場合は、一〇年余の作家生活だから仕方ないというより、むしろ当然だろう。
 漱石は、江戸期、十町歩余を支配していた町奉行支配下の(町)名主で、幕府滅亡(敗戦)のあおりを食らって衰退しはじめた夏目家に生れた(1867)。わたしの家も、時期は異なるとはいえ、敗戦によって地所と家産の大半を失った。わたし(1942生)の場合、農地解放で複雑な親類関係がなくなったことに、むしろ開放感を懐き、喜びを感じた。これはいまにして変わらない。
 漱石の小説は、『猫』から『明暗』まで、「拵え物」という批判を受け続けたが、小説はフィクションで、拵え物に違いなく、「歴史」といえども書かれたものであるからには「稗史」を含む。拵え物であるという意識がなければ、むしろ自己陶酔に陥るといっていい。漱石にははじめから自己陶酔という性癖はことのほか小さかった(と思える)。いちばん熱心に読んだのは『こころ』ではなかったか。学生時代、沖合までまっすぐ泳ぐ習性に気がついて、ちょっとまずいな、と思ったことがある。
 2 奥入瀬(おいらせ)川渓谷の美しさは、65年経った今も忘れることができない。とくにバスの車窓から覗うだけだったが、沿道を塞ぐように連なる鬱蒼とした木々を覆う葉群から漏れ落ちる光の粒の煌めきにうっとり見とれていたように思える。(ま、凡庸な表現ではあるが。)それも中学の修学旅行の騒がしいバスの中だったから、なおのこと印象を強くした。そのご、全国の景勝地にかなりの数であったが、「奥入瀬」の名とともにいちばん強く心に残っている。
 一昨日、偶然TVの画面で再会した奥入瀬渓谷は、息を呑む景観とは趣を異にする、よくよく目を凝らせばどこででも出会える景色とも思える。が、そこがまた印象深さを強くさせる因でもあった。
 修学旅行は、信濃小学のときは父が同伴した。登別温泉に一泊の汽車旅行で、中学のときは母が同伴した。終点は十和田湖で、高村光太郎の「乙女の像」を背景に母と写した(貴重な)一枚が残っている(はずだ)。
 3 雪嶺の文語体でしかも三種類の号数の活字を追うのに汲々としているので、本格的な活字を追うのに辟易している。でもまだ整理なかばの(新)書斎に、藤沢周平全集が残っているのを見いだし、再読のチャンスが巡ってきたと思える。
 藤沢周平は山形は鶴岡の出身である。鶴岡といえば渡部昇一さんもそうだった。ともに苦学して周平は師範を渡部は上智(英文)を出て、ともに大きな仕事を残した。池波は洒脱な人間像を、司馬は明智、周平は実篤を作品で放ったが、その生き方は真逆だったように思える。
 そうそう藤沢全集の題字は、谷沢先生の奥さんの筆になる。解説は向井敏で最適の人を得たと思える。まず『獄医立花登手控え』シリーズから再読しようか。少し迷っている。そういえば時代小説もよくよく読んできたなと思える。岡本綺堂『半七捕物帳』から佐伯泰英まで、ほぼ時代小説の全時代を網羅してきた感がある。綺堂はミステリ小説の先駆けでもある。ミステリは、綺堂から鮎川哲也まで、これも堪能してきた。鮎川と松本清張は、ミステリ界の運慶と快慶である、というのがわたしの判定だ。