読書日々 1034

◆210416 読書日々 1034 『イデオロギーの再認』から『天皇論』へ
 今年は春先も暖かい。だから寒さの多少のぶり返しが、むしろ堪える。それでも、「三寒四温」という言葉を「言葉」としてしか思い出せなかった。
 ところで春の珍事が起っている。阪神タイガースの連勝である。例年のことのように思えるが、今年は何か、違うように思える。長いあいだ関西にいて(23年間)、トラキチには随分迷惑を掛けられたが、あまりにも近年の凋落が激しかったので、何か暖かいね。といってもタイガースの実況中継は見ることはないが。
 1 わたしの思想上のターニングポイントになったのが、『イデオロギーの再認』(白水社 1985年)である。「文化の総体理論に向けて」という副題を付けたが、ピタッとしなかったが、マルクスの「総体的乗り越」を企図した。
 そのマナーは、マルクスを現代にまで可能なかぎり連れてきて、マルクス(主義)の可能性と不能を解明するという、当時、わたしにとって非常にむずくしかった課題を究明することだった。
 「まえがき」で記した。
 a〈マルクスを現代の中心問題にまでつれてくるためには、水先案内人が必要である。第一章はアルチュセール、第二章はブーランツァス、第三章はソシュール、第四章はイリイチが、ときにはマルクスの伴走者の、ある場合には迷い道へ誘い込む者の役割を負っている。マルクスは、手強い敵対者に対して、とりわけ力を発揮するタイプの思想家である。そのためか、私には馴染みのあるアルチュセールやプーランツァスより、むしろ、ソシュールやイリイチと対面・対決するマルクスに、より大きな刺激や成果を受けとったように思う。〉さらに、水先人の水先人、〈今村仁司―アルチュセール、田中正人―プーランツァス、丸山圭三郎―ソシュール、山本哲士―イリイチ〉を批判的に「参照」した。
 このような、たとえばアルチュセールを今村仁司によって「読解」し、それと批判的に対決するという方法は、わたしが独善に陥らないためのいまに変わらない研究マナーである。この地味な本は、それでも(わずかだが)重刷りになった。
 2 本書によって、わたしはマルクスを原理的にのりこえる中心を見いだしたように感じたが、それを思想史のなかで実証しようとしたのが、1986~90年の『昭和思想史60年』『吉本隆明論』『天皇論』であった。ただしわたしは、思想的には「マルクス主義者」あるいは「マルクス者」と自己規定していた。そう廣松渉(先生)や吉本隆明が、自身を「マルクス主義者」あるいは「マルクス者」と呼んでいたようにだ。
 3 『天皇論』はわたしが踏み込み難く思ってきた、したがって慎重に避けてきた、だが日本と日本人にとって、避けて通ってはならないテーマであった。この課題に踏み込む契機となったのは、89年の天皇「危篤」であった。同時に、89~90年が、国内さらには国際史上における「大変動」であった。マルクス主義的社会主義の「解体」過程が現実になったのだ。
 わたしの天皇論の焦点は、日本帝国憲法に体現された天皇の極大形式=天皇大権が象徴天皇制(天皇の政治権力を極小にするもの)であり、デモクラシイと調和しうる存在であるという、歴史的かつ論理的確証であった。
 論理的には、ヘーゲル『法の哲学」の「皇帝」規定(国家の象徴=統合者=一者)であり、歴史的には、帝国憲法の天皇規定であった。そう、日本の(明治以降の)天皇は、英国の国王より、政治権力の実質から遠い存在である。
 4 『天皇論』を実質3ヶ月で書きあげ、わたしは昭和天皇とは違った意味で、「下血」に追い込まれ、疲労困憊、太りかつ歩行困難に陥った。狸小路を西4丁目から11丁目まで歩かなければならないのに、3~4度、ベンチに背を持たせなければならなくなった。それでも若かったのか、酒を呑むことだけは止めなかった。(つづく)