◆220826 読書日々 1105 新刊『世界史の読み方』に寄せて
孫娘たちの夏休みも残り少なくなった。毎日が涼しく、東京と比べると「天国」に違いない。
連日、近間の公園、動物園、博物館等に出かけて、夕刻戻ってくる。もちろん、私は付き合わない。というか、自分の家族とどこかへいっしょに連れだって出かけたのは、片手に満たないだろう。家事と育児から遠く離れて、が私の結婚生活の不文律だった。いまさら変わらない。
1 拙著最新刊『世界史の読み方』(言視舎 20220831)が昨日届いた。
序・ ロシアのウクライナ侵攻と中国の成長路線の難点を読んで、
1・20世紀末の社会主義の崩壊を読み解き、(当時、ライブで書いた拙稿を読み解き、
2・世界史の新しい読み方、「資本」読解(=哲学)、哲学(柄谷行人)と経済学(岩井克人)の読解を置いた。私と同世代だ。「資本」の、マルクスとまったく異なる、読解である。
3・戦史=三宅雪嶺『同時代史』を読む。拙著『三宅雪嶺』で詳論した論点明示だ。端的にいえば、なぜ日本は誤ったのか、である。通説とは異なる読み(=哲学)の明示である。
4・日本の先人の「世界史を読む」を読む 歴史の読みの達人に学だ。梅棹、宮崎市定、岡田英弘、内藤湖南の読みを明示し、学ぶ。
哲学とは、「新しい読み方」である。つまり、プラトン哲学とはプラトンによるソクラテスの読み方であり、ウクライナ侵攻理解には、1990年代のロシア社会主義の崩壊と21世紀ロシアの再浮上とその困難の読みを必要とする、云々だ。
ただし、序を含め、1~4は、すべて拙旧著を読む(再読)という内容のものである。
なんだ、新しい現実を踏まえた最新分析や叙述はないのか、というなかれ。
新解釈とは、再読であり再解釈なしにはありえないのだ。それ以外ではない。
2 この新著は、ロシアのウクライナ侵攻という「新現実」の産物である。間違いない。しかし、この新現実の読みは、社会主義ロシアの崩壊や社会主義中国の崩壊(「開放経済」と共産党「国家独裁」)の「読解」なしにはありえない。
私は、『三宅雪嶺』を書き終えてからは、拙旧稿の整理を兼ねて、テーマ別に、旧稿の校正を兼ね、2~3版の作成に努めてきた。これは、デジタル版の著作集につながるのではという密かな楽しみもあったが、自分自身の思想史を辿る楽しさ(苦渋のつまったもの)になっている。
ま、なににしろ、朝起きてする仕事があることは、うれしい。自分の書いたものだといっても、かなりというか、きわめて客観的に対面可能なのだ。皆さんにも自作の改版、発表するしないにかかわらず、をおすすめする次第だ。それだけで楽しい作業(ワーキング)である。
3 というわけで、わたしのこの一年間の毎日は、第一に、自作の点検・改訂版の作成にある。
わたしの場合、著書だけで200冊を超える。そのほか、書き散らかしたものも、書物にすると、30冊を超えるだろう。空恐ろしい数に上る。
そんな死んだ子の数を数えるようなことをして何になるか、といわれるかもしれない。「あとがきに」こう記した。
〈1980年代末から1990年代初頭にかけて、与えられる媒体〔メディア〕を選ばず、社会主義(の「崩壊」)を、そして社会主義とは何か(=定義)、をテーマに、長短さまざまな論稿を連続して書いた。それに昭和天皇の崩御が重なる。この「流れ」は、2012年まで続く。だが70の退職を機に、ほとんどすべて「時流を追う」をやめた。ま、注文も来なくなったが。
第1に、やりたい(残した)ことがあったからだ。『日本人の哲学』(全5巻全10部)を、そして『福沢諭吉の事件簿』(全3冊)、さらに『三宅雪嶺 異例の哲学』を書き下ろすことが出来た。すべて言視舎の好意による。幸運だった。これでわたしの「最後の最後」の仕事も終わった、と思えた。だが、である。
2020年「コロナ禍」をテーマに「非常時の思考に足を掬われるな」(『最後の吉本隆明のマナー』(言視舎 2020 所収冒頭論稿)を書き下ろした。そして、時を接するように、「ロシアのウクライナ侵攻」である。まさしく、三宅雪嶺が述べたように「非常時」(と「非常時の非常時」)の「時代」(シーズン)に入ったかに思える。
しかし、どんな難問であれ、「解決不能」な問題はない。それがわたしの常に変わらない思考マナー(哲学)だ。それも解答は「歴史」の中に、もっと凝縮していえば、「歴史=書」のなかにある。これを示すのが「読み」(reading)であり、哲学だ。〉