読書日々 1112

◆221014 読書日々 1112 『明暗』(下)
 結論だけをいえば、飛ヶ谷のように述べた人は何人もいる。だが、両作品の詳細な比較検討によって両作品の関係を掌を指すように明らかにした功績は飛ヶ谷本人に属するといっていい。飛ヶ谷の比較文学研究もまた「文学を科学する」成功例だといっていいだろう。(ちなみに、飛鳥谷は、札幌在住の人で、私が在籍していた大学の図書館で世話になった、と記している。なに、札幌大学の「名誉」ではないだろうか。彼女、主婦だそうだ。)

 漱石の文学識は、留学時における文学研究を通じて、はじめて世界文学と肩を並べるところまで飛躍する契機を得ることができたと見るべきだろう。ただ「精神病」まがいになって帰国しただけじゃなかった、と断じていいわけだ。

 3 漱石が文学(作品)を「科学する」『文学論』と『文学評論』は、日本における「近代文学」の成立を画す作品、『明暗』を生むスプリングボードの役割を果たす仕事であったというゆえんである。
 漱石は、最晩年(といっても亡くなったのは49歳であったし、『明暗』も「未完」に終わった)、米の哲学・心理学者のウィリアム・ジェームス(1842~1910)の著書を取り寄せ、精読している様子が窺える。
 ジェームズは、プラグマティズム哲学の提唱者の1人で、作家ヘンリー・ジェームズの兄、「意識の流れ」=「根本=純粋経験」の理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』等に影響を与えた哲学・心理学者である。エッ、漱石がプラグマティズム=実証主義哲学の影響を受けたの、と驚いてはいけない。あの保守主義、現実肯定主義の哲学を受け入れたの、というステレオタイプの判断自体が間違っているのだ。
 漱石は「病床」にあったが、『明暗』完成を目していたのだ。

 今わたしの手許に、最近購入した2冊の著作がある。1冊は吉村昭『日本医家伝』(講談社文庫 1973)で、こちらは以前から気になっていた作品だ。
 吉村さんには、『神々の沈黙 心臓移植を追って』(朝日新聞社 1969年)がある。日本人で「最初の心臓移植」は札幌医大の和田教授ではないとし、1例目が南アで、2・3例目がアメリカで行なわれ、アメリカで執刀したのが諫早出身の古賀保範で、帰国し宮崎医大教授となった、と記す。 私に『脳死論 人間と非人間の間』(三一書房 1988)がある。そこに和田心臓移植手術の問題はでてくるが、古賀保範氏の名前も出てこない。吉村さんの本を知らなかったからだ。
 吉村さんの「医師」あるいは医療行為を見る目は暖かく、かつクールだ。自身が結核で死をまぬがれえないところまで追い込まれ、そして救われた経験とも関連する。特に医術を、仁術と算術に区別し、算術を主目的とする医者に厳しい姿勢で臨むことを常とする。
 シーボルトの日本医学史における功績を評価しながらも、基本的に彼がスパイであり、道義を超えた度しがたい権欲、性欲の持ち主であった、と断じる.。また「解体新書」を訳・著述した杉田玄白(小浜藩医)と訳業の主導者だった前野良沢(中津藩』)を比較考量し、訳業に不備があるとして訳者となることを辞した良沢の学者の良心を高く評する。
 医は算術であることを、最も極端に生きたのが、伊東玄朴である。貧農の生まれで、下男として住み込んだ漢方医の下で、見よう見まねで医術をおぼえ、勝手に医業の看板を掲げ、貧から抜け出し、……ついには、将軍家御殿医の最高位にまで歩を進めた。だが、金銭欲に対する我欲がさらに燃え上がっていった、と断じる。
 今1冊は岩井克人『経済学の宇宙』(日経ビジネス文庫 2021)である。こちらは岩井経済学の総括(?)というべき作品で、南部陽一郎『素粒子の発展』(岩波書店 2009)に比すべき著作だ。いずれぼちぼちと解説できるだろう。なお奥さんが漱石『明暗』の続編を書いた水村美笛だ。