読書日々 1021

◆221021 読書日々 1113 東大入試中止
 秋晴れだ。タバコ『ピース』ライトを近くのコンビで求め、厚保駅を頂点に、一周した。気分はいいが、直進歩行に耐えず、ちょっとよろめく。まずい。

 1 岩井克人『経済学の宇宙』(日経ビジネス新書)は底抜けに面白い。ただし厚い(641頁)。活字が小さい。注はまるでたどれない。裸眼で近づけるとようやく辿れるほどだ。
 岩井も眼が悪く、デジタルで拡大して読むそうだが、小学校からウルトラ近眼だった私も御同様だ。わたしの場合、鳥目というのか、暗いところは苦手で、しかも明るさに弱い。それが、PCモニターとTVによって痛めつけるものだから、厄介だ。しかし、それ以外「字」を読む、映像を見る媒体がなくなりつつあるが、やはりなにはなくとも「本」である。やめられない。やめたくない。
 岩井は、学部卒業の年、東大が封鎖され、授業再開されないことを理由に、1969年「東大入試」(だけ)が中止になり、大学院受験が不可能になった。学者への道が突然、閉ざされそうになったのだ。しかし、さすがに東大で、浜田、宇沢、小宮三教授の推薦で、MIT(マサチューセッツ工科大)の大学院に進学することが出来た。MITは近代経済学のメッカになっており、これ以上の幸運はないだろう。
 そういえば、札幌大で同僚となった井上治子さんは、高校三年の時、東大入試中止で、埼玉大にやむなく入り、卒業後、東大大学院(科学哲学)に転じ、札大(英語と哲学)に赴任してきた。
 わたしの場合、当時は大学院の博士課程で、もちろん「講義」はなかったが、大学院生協議会議長(もち回り順)を引き受けざるをなくなり、事実上、阪大改革闘争の中心に立たざるを得なくなって、大学(研究ポスト)に残ることを諦めざるをえない羽目に陥っていた。
 岩井の幸運をいまにして羨まざるをえないと思える。だが反面、すでにコムニスとになり、マルクス者として自立する道を歩んでいたので、ま、いいか、という気分にもなっていた。そして、その後の紆余曲折は、いまでもうまく書くことが出来ていない。他人を恨んでも仕方がない。別な流儀で行こう、それがわたしの訓戒だった。
 なによりも岩井が羨ましいのは、学んだ教授陣だ。この時代、いまだマル経(マルクス主義済学)が主流で、東大もご多分に漏れなかった。しかし近経も根岸隆や宇沢弘文、浜田宏それに60年安保闘争で学生運動を牽引していた西部邁が助手で、大学院のゼミに参加していた。ここが阪大とともに、近代経済学のメッカとなってゆく。
 2 吉村昭『日本医家伝』(光文社文庫 1973)は、12人の医者を取り上げた、独特の「伝記」だ。しかし、ちょっと「直情」を超えた書きっぷりがあり、気になる。
 例えば、萩野ぎんで、明治18年、35歳で、日本最初の女医(医術開業許可者)になり、医所を開き、社会運動にも乗り出し、後輩女医を育て、名士ともなった。……その苦難の前半生を乗り越え、明るい後半生が待っていたはずだ。
 だが、後半生は暗転する。北海道で開拓事業に従事し、……その後、瀬棚で開業したが、その医所を訪れる人は少なく、最愛の夫を失い、最後は東京戻り、孤独のうちに亡くなった。彼女の医家としての知識も技術も時代遅れのものになっていたからだ。
 なぜ暗転したのか? 40歳の折、14歳下の男と出会ったためだ。周囲の目もかまわず、「四十歳の女としての情欲がその体に満ちあふれ、はじめて女としての歓喜に身をもだえた。」
 その男が夫となる牧師志方であった。開拓に従事したのも、キリスト教「王国」を開く事業をめざしてだ。しかし失敗を重ねる。
 こういう描写は楠本いねにもあり、もう少し違った描写もありえるのでは、と思える。ただし、伊東玄朴の紹介でもあるように、直情直進型を貫かないと、「特別」(良き悪しきにかかわらず)のことをやり遂げることは出来ない、という吉村さん式の文学識かもしれないが。