◆221104 読書日々 1115 犬も歩けば
1 コロナ社会になってから、およそ満3年を迎えようとしている。街への、特に飲み屋街への出没は、自主規制せざるをえない。それでも感染数がおさまるたびに、お誘いがある。うれしいことだ。しかし、すぐに感染数が増加傾向を示し、やむなく中止ということにあいなること数度だった。
わたしがかつて常連であった店の大半は閉めたか、消息がちらほら聞えてくるようになった。
しかし、この3年間のあいだでわたしが出没したのは、「タパス」に3度、「エルミタージュ」に2度、そして今週、「なすの花」に1度、という貧度にしかすぎない。
アルコール類を最初に飲んだのは、ちょうど二十歳になったばかりの時だった。北の果て、礼文島で、母の弟が院長をしていた病院の社宅においてだ。飲んでも大して酔わなかった記憶が残っている。わたしの生家は酒類も販売する雑貨店だったが、祖父も父も一滴も飲めなかった。わたしの酒好きは、母方の血統かもしれないが、おじさんたちと比べてみて、わたしが断トツの大酒家に違いない。
2 札幌に戻ってきて、最初、きらくと亘で飲んだ。1981~2019年、きらくには大酒飲みも数多くいたが、80歳を過ぎて順調に飲んでいる人はすべて亡くなったか、病臥中であるように思える。この二つの店も今はない。
「なすの花」は松岡ビルの地下1にあり、亘のマネジャー役だったお上さんが、店を守っている。11/2、何度か延期を余儀なくされ、ひさしぶりにお会いでき山下・久米女史と、美味い肴を当てにゆっくり飲んだ。この店、小さいが、普段は混んでいる。今はどうか……?
ママが言うには、札幌大学の教え子かよく来る。今日も、来るかもしれない。……その男がやってきて、名刺を戴いた。教養の哲学を履修していたそうで、大西和正、税理士である。札大出身で、たえて聞かない職業だ。パリッとした好青年である。わたしのゼミにも1人優秀な男がいた。苫前に戻ると聴いていたが、35年前だ。こう書いて、つぎつぎにゼミ生の顔が浮かんできた。名前は出てこない……。
3 わたしの「学校」は、2つある。「書物」であり、「酒場」だ。書物の方はだいぶ不確かになったが、酒場ではいまでも不意に未知の人に出会う。先日、「タパス」で「華岡青洲」の子孫(やはり医者)である。
この日はちょっと立ち寄った「草地」(エルミタージュと同じビル)で○×さんに出会った。名前は覚えていない(覚えないことにしているが)、息子と同じ世代で、さらに職種も同類なようで、かなりフレキシブルな仕事をしているらしい。
そうそう、酒場を巡り歩くと、「棒に当る」。幸・悪にかかわらない。わたしの実感では、悪運に当る場合いが多いが。ま、酒癖の人はどこにでもいる。でも、酒場に足を入れなかったなら、けっしで出会うことのなかった「幸運」に巡り会うことがある。それは「本」に出会うのより頻度が多い。
本の場合は、100冊に1冊だろう。そして、酒場のいいところは、酒場の外では、ほとんど例外なく、忘れ去ってしまうことだ。
4 わたしの最大の幸運は、父母に当ったことだ。もちろん、好悪相半ばしていた。だが、親子の関係は、そういうものだろう。第二は、姉妹である。第三に妻だ。ただし、これは順位ではない。出会った順番だ。
本は、列挙すれば、『北海道年鑑』であり、開高健『日本三文オペラ』、谷沢永一『読書人の立場』を嚆矢に300冊余りの著作、司馬遼太郎の全著作、……。バットな本にも数え切れないほど出会ったが、手に取っても、たんなるすれ違いである。袖すり合うも、多少、で行く要はまったくない。
それでも、良書ばかりを読んでいたら、黴しか、否、黴も生えない。お前の雑本のうち、最良といえるものは何か、と尋ねられたら、これと答えられない。残念だが、事実である。