読書日々 1132

◆230303 読書日々 1132 カーとドラッカー
 暖かい。雪が一気に融け出している。今年はあからさまな暖冬で過ぎそう。
 1 二日前、このぽかぽか陽気に誘われて、少し「遠出」をした。といっても、老人の脚ではしれている。 厚別駅から信濃小学校にかけ、私の旧家もその範囲内に含まれるが、厚別ではわずかにしかすぎないものの、標高が一番(?)高いと思える。国道一二号線が、白石→野幌の方に直進していなかった時代(まだひばりが丘団地が影も形もなかった時期)、旭町から北に折れて、700メートルほど進み、今度は東進して、だらだらと坂を100メートルほど下り登り、野津幌川を渡り、直進して小野幌→野幌へ至る道が、旧国道一二号線で、国鉄バスもこの埃まみれの田舎道を通っていた。
 私の妻が、小学生の時、父の店(鷲田商店)の斜前にあるバス停(高松商店)で待っている姿を瞥見したことがある。義父はわたしたちの中学の先生であった。自宅は、当時、新野幌と言われた、野幌原生林に接した遠隔地にあった。(現在は、札幌学院・酪農学園等・道立図書館等のある大学・団地町で、江別市に属する。)
 なんとか坂を上ると、帰り道は下りのようだが、地形がねじれているのか、厚別駅へとずーっと上っていくように感じられる。この感覚は、70年前の、間道しかない時代の錯覚と同じだ。
 2 エ・H・カー(Edward Hallett Carr 1892~1982 英)の諸著作を読んでいるか? 高所からこれをいうのではない。重要なマルクス研究書を読破したと思い、マルクス研究者を自任していたわたしだって、カーの『カール・マルクス』(Karl Marx: A Study in Fanaticism  1934 石上良平訳 未來社 1956)を繙読したのは、マルクス論=『哲学の構想と現実』(白水社 1983)を書いた後だった。いまでも情けなく思っている。
 そしてもっと情けないのは、カーのロシア社会主義論を読んできたのに、最重要書『危機の二十年』(1939)を手に取っていなかったことだ。だからその序文に、最も刺激を受けた書として、マンハイム『イデオロギーとユートピア』、ニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』とならんで、ドラッカーの処女作『経済人の終焉』(1939)が掲げられていることに気がつくことがなかった。もしドラッカーの本書をずっと早く読んでいれば、ナチズムはもとよりマルクス主義=「国家社会主義」解読にもっと早くたどり着けた、といって過言ではない。(もっとも五年のタイムラグではあったが。)
 カーとドラッカーという、国家社会主義として成立した、ロシアとドイツと日本の社会主義批判に真っ正面から立ち向かうことが出来たのに、と思える。
 3 もっとも、紆余曲折を経たとはいえ、「過去」のこととしてではなく、まがりなりにも「現在」にまで続く歴史と思想の経緯を、カーとドラッカーから学ぶことによって、多少は深く読解することができたのでは、と思える。私は、何度も繰り返すが、第二次世界大戦を、三つの社会主義、ロシア国家社会主義vs日独伊国家社会主義vs英仏米国家社会主義(ニューディール)政策としてつかまえる。けっして、日独伊の戦争とファッシズムvs英米露の平和と民主主義としては掴まない。
 カーはどちらかと「歴史家」として、ドラッカーは経営学者として取り上げられる。しかしどちらも一級の思想家で、自らも無意識ではあれ、そのように振る舞っている。その主要著述領域が、「国際政治の歴史」であり「経営・ビジネス分析」であるということだ。
 なんと言っても、老練の歴史思想家カーと新進の経済ジャーナリストドラッカーが、同じ出発点に立って、ナチズム(国家社会主義)とマルクシズム(国家社会主義)批判の原理を共有していたことに驚かされるのではないだろうか。
 好便なことに『危機の二十年』は、原彬久の新訳『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫 2011)で読むことができる。もっとも私は活字を大きくして、Kindle版で読みますが。