読書日々 638

◆130920 読書日々 638
秋になった。ストーブが恋しくなる
 あっというまに涼しくなった。夕刻を過ぎれば薄着をしていると背筋が冷え冷えになる。
 上の娘と孫が2週間の休暇を過ごして9/19帰った。雨の日が多かったが最後は秋晴れだった。
 陸羯南(くがかつなん)は子規を記者として迎えた新聞「日本」の社主で主幹だった。三宅雪嶺の畏友で、いってみれば明治維新の第三世代である。第一世代が、西郷・大久保・桂・高杉・坂本・福沢だとすると、第二が伊藤博文・黒田清隆・大隈重信たち、第三世代が陸、三宅、漱石、原敬たちでそろって洋学校や大学(校)で学んでいる。いまでいうアプレゲールというかハイカラさんだ。思想特徴がそれぞれ違うが、ナショナリスト・国粋派であるか欧化派であるかにかかわらず、和の伝統と文明開化を「統一」しようとして苦心している。したがって、明治憲法が皇室伝統と西欧民主制の「調和」をはかった事実に最も大きく影響を受けた世代といっていい。
 これは戦後派の第一世代占領・焼け跡派と第二世代・60年安保派、そして第三の70年安保・全共闘派との差に比較できるといっていい。60年安保世代は、大学では教授と学生が「まだ」肩を組んで「安保反対」を唱えることができたが、70年安保は教授と学生が学内でも、学外でも、敵対関係になった。ただし明治も昭和も、戦後の第二世代であろうが、第三世代であろうが、日本が上向線をたどっていたため、どこに仕事の場を求めようと存分に活躍の場があった。しかしバブルが潰れたあとに「社会」に出た世代は、半沢直樹ではないが、「気分」的にはなかなかしんどい。維新から50年、欧米に追いついたが、欧州大戦景気に湧いた日本のバブルが潰れ、「大学は出たけれど」になった。戦後50年、欧米に追いついたが、あっというまにバブルが崩壊したあとだ。ただしそれからが本格的な第二の戦後(敗戦)期といってもいい。40代以下の世代に日本の現在未来がかかっている。
 大雑把に網を投げると、こういってもいいかもしれない。ただし一人一人の人間に寄りそって考えてみると、ニュアンスの違いだけでなく、根本的な違いが透けて見えてくる。
 陸羯南と原敬はほぼ同じ年で、津軽と南部に生まれ、司法省法学校に入り、同じ事件で退学処分になり、ともに新聞記者になったが、原は官→民に移り、1900年伊藤が創立した立憲政友会に幹事長で迎えられ、のちに首相になる。羯南は終始在野で、雪嶺等と扶養した「日本」を1906年に辞し、翌年「日本及日本人」を改題創刊したものの、亡くなった。51歳だった。子規(35)、漱石(49)、羯南はそれぞれ短命だったが、しかし立派な「仕事」を残した。
 じゃあお前は戦後なに世代に属するのか、といわれたら、60安保派にも、70年安保派にも属する、しかしどちらにも属さない世代だといっていいのではないだろうか。何せ、浪人2年、大学は全コースで、11年もいたのである。といっても大学で落第したわけじゃない。大学に入ったときは安保闘争は終わっていたし、70年安保のときは、ドクターコースで、連日のように街頭に出ていたが、もう同期生は誰も大学に残ってはいなかった。
 9/25に上京する。北海道新聞の「四季対談」で富樫倫太郎さんにあうためだ。拙著『時代小説で読む! 北海道の幕末・維新』(亜璃西社)で、富樫さんの本を紹介したことが機縁になった。1961年函館生まれ、札幌東から北大経済をでて、作家修業し、1998年本格デビュー。時代小説中心の多産家で、いま売れっ子の一人である。楽しみだ。
 美濃部達吉の『憲法講話』(1912)は、いわゆる「天皇機関説」と指弾された代表作だが、戦後復刊されていない。ただし全文デジタル版で読むことができる。力作で、明治憲法をきちんとその問題点も踏まえて読んでいる。対して同じ東大教授だが吉野作造の「民本主義」は日本政治の歴史伝統をまったく無視した議論と論理である。キリスト者にはこういう議論が多い。いただけない。