◆131227 読書日々 652
書く仕事を本格始動した時機を振り返ってみれば
定職を退いて2年目、たっぷり時間がある。注文仕事もぽつぽつ入る。時間はたっぷりある。まとめて特定テーマの本を集め読むことはできる。とはいえ読書の大半は、あいもかわらず仕事のためのものだ。日本人の哲学の2「文芸の哲学」を上梓した。仕事は基本的に6月で終わっているが、校正が終わるまで本どもを動かせない。書斎の通路に添ってぐるりと参考文献が積まれたままになっている。大晦日までにはどうにか処理しなくてはならない(という気持ちは強くある)。
3「政治の哲学」の文献は「文芸の哲学」に比べるとはるかに少ない。それでも数は多くないが佐藤誠三郎の著述をかなりのかず読み込むことができた。このひと、歴史家だね。
政治も経済も「結果」だ。どんなに立派なご託宣(oracle)であっても、否、立派であればあるほど、デトピアでしかなくなる。そんな中で4「経済の哲学」でメインに取り上げる岩井克人の「資本」を語るクールさは見事というほかない。ただし主著『不均衡動学の理論』は主意はわかるが、哲学屋には理解不能に見えて、読了は回避せざるをえなかった。
書評の仕事は『理念と経営』を中心におこなっている。同誌には小檜山博のエッセイ、短いが井上美香の書物紹介も載っている。畏友の背戸逸夫が編集する雑誌である。背戸さん、開高健の釣りで北海道に同行して以来の北海道びいきで、山口生まれ、大学は京大、したがって京大人文研びいきで、法学部でだから丸山真男や鶴見俊輔をひいきにしている、日本では「正統」派の編集者である。その背戸さんが「きらく」の忘年会や中村嘉人さんの出版記念会に顔を出すのだから、おもしろい。
私に書評を最初に書かせたのは、「きらく」のママをしている妹の元夫の鶴見(雑誌『ナンバーワン』の編集長)で、よく連んで飲ませてもらったが、妹とその娘3人を残して「逃亡」してしまった。その当時の威勢のいい書評は『書評の同時代史』(三一書房 1982)に載っている。この書評集を出してくれたのが三一の編集者、林順治さんで、重版になったこともあり、結局、書けば出す、何かあれば課題が飛んで来るということで、20年間で30冊以上、三一で出してもらうことになった。40代に入ったときで、本格的に物書きになろうとするものにとってとてつもない幸運である。林さんは編集者を辞めた後、わたしもその「弟子」のひとりである石渡信一郎さんの「古代史」新解明(蘇我氏=百済王家の出=天皇家の祖 聖徳太子非在)を引き継いで、つぎつぎに著作をものしている。
この最初の書評集は、わたしと谷沢永一先生をつなぐ橋渡しの役目をしてくれ、谷沢先生の手を経て背戸さんに渡り、わたしの本格的な、端的にいえば、稿料をもらう書評仕事がはじまった。すでに30年前の出来事になる。
いま読みたい本がある。まだ買っていない。1冊は鬼塚英昭『白洲次郎の嘘』(成甲書房 20131210)で、もう1冊は和田竜『村上海賊の娘』(新潮社 上下 131022)である。「嘘」のほうはあまりにもわたしの「白洲予断」にぴったりの目次なので、躊躇している。「海賊の娘」は買うとすぐ読んでしまい、年末の仕事が若干滞ってしまうのではないか、というケチな勘定からだ。その代わり、合間合間に、積み残してある佐伯泰英の坂崎磐根シリーズの41~44を読んでいる。何か引き延ばし作業のようなシーンが随所に登場するのだが、ここまできたのだから、つきあうことにする。
大晦日が終わるまであと5日(も)ある。毎年この時期になると、こう言い聞かせてきた。人間、切羽詰まると仕事ができる、はかどるものだ。これがわたしのながいあいだの実感であり、経験則でもある。それにしても今年はTVドラマを、時代劇チャンネルを中心に、警察もの、ミステリものをよくよく観た。昨日も「麒麟の翼」を観た。過ぎたるは及ばざるがごとしという。半減したいね。