◆140425 読書日々 669
『歴史の哲学』に定稿をえて、季節も良くなった。「わたしに五月を」かな
この二三日でじつにいい陽気になった。仕事がはかどる。酒もすすむ。いうことなし?
1 ようやく『歴史の哲学』を脱稿し、定稿作業も終わった。これで『日本人の哲学3』(政治・経済・歴史の哲学)が完成した。700枚になる。予定通りだが、ずいぶん歴史の勉強をした。およそ1年間つづいたのだから、まずまずだろう。体調も昨年と比べたら、月とすっぽんだ。
パソコンの辞書には、朱舜水、方孝儒、謝枋得、浅見絅斎、安積澹泊などの人名が残っているので、たたけばすぐに出てくる。改めて『大日本史』の断章や『近世国民史』の断片をはじめ、日本通史の長編を何冊も読んだ。仕事のためだが、おもしろくもある。ここに来て、山田孝雄『神皇正統記術義』(民友社 1932)を少し丹念に読んでいたのが、助けになった。
2 4/24 仕上げの目途もつきそうだったので、積んであった三上延『ビブリア古書堂の事件手帳5』(KADOKAWA 2014.1.24)をつい手にとってトイレに入ったが、そのまま居間で寝そべって、読み切ってしまった。やはり手塚治虫『ブラック・ジャック』や寺山修司『われに五月を』のところは、読むふけってしまう。
3 突然思い起こした。大学に入りたてのころ、2浪したので、まともな職業に就くなぞはできない、という敗残兵の気持ちになって、国文科に進もうと思った。最初に買ったのが北村季吟『湖月抄』(上中下)の下で、大学のある石橋のガード下の古書店で求めた。源氏物語の注釈本で、これ一冊でも1400頁余ある。季吟の名は知っていたし、端本で安かったから買ったのだが、国文なら源氏と思っていたからでもある。林和比古助教授の講義は源氏の講読だったので、早速参加した。「浮舟」のところで順番指名され、訳語をつけた。まるでポルノチックに訳をつけたのか、女学生がほとんどだったのか、先生に制止されて、一頁も訳さないうちに終わった。
こんな記憶がひょいと出たので、肝心の本を引き出してみたところ、浮舟のところだけは読んである。線を引き、折りもつけてある。のちに浮舟と横川の僧都(源信)の関係(?)に思いを巡らし、折口信夫の源氏解釈に範を取って、「反省の書源氏」に触れたことがある。忘れていたが、人間の思いはたどれば案外たわいもないところにたどり着くのだ、と思える。
4 それで寺山の処女集『われに五月を』がすぐに啄木の『呼子と口笛』の、
〈‘今日は五月一日なり、われらの日なり。’
これかれのわれに遺したる最後の言葉なり。
その日の朝、われはかれの病を見舞ひ、
その日の夕《ゆふべ》、かれは遂に永き眠りに入れり。〉
の一節に繋がった。寺山の「われに五月」は、じつに若々しい詩だが、20歳なのにネフローゼで瀕死の状態にあった。啄木も寺山も度外れた嘘つきである。その詩歌は嘘から出た誠のように思われる。ま、ともに自虐趣味というか、スタイルとしてのテロリストだけれども。
5 拙著『自分でやりたいことを見つける技術』(ダイヤモンド社 2000)を韓国版で出したいというメールが入った。韓国版はこれで11冊目になる(ほか二台湾版1冊)。出るのはうれしいが、印税等になると、代理店任せで、雀の涙程度はいいとしても、部数等が事実なのかどうか、まったくわからないのだ。重版の報告はゼロで、売れなかったからそうなのかもわからない。相手が韓国だから仕方ない、とは思いたくないね。もっとも日本の出版人にも、御同様なケースがあるにちがいない。例外であってほしいね。
6 少し一服して、次の企画に進みたい。大阪にも行かなければならない用事があるのだが、……