読書日々 671

◆140509 読書日々 671
「さむがりやの坂本龍馬」はいかがですか
1 昨日と今日、お湿りがある。わたしの庭の染井吉野が満開になった。半分はアリにやられ、葉だけの枝もある満身創痍の木だが、樹齢30年弱だ。やはりそれなりに美しい。見とれてしまう。愛郷があり、愛樹がある。まさにそれだ。「わたしの庭」の樹なのだ。
 数日天気がよかった。庭の周辺を歩く。ワラビが出ないか、食い意地の張った衝動の結果でもある。数日間、何も見ることが出来なかった。今朝、一仕事終え、それとなく目を見張って歩いたら、1本見つけることができた。1本見つかるとつぎつぎと見つかるというのが、山菜採集の常道だが、やはりまだ早い。昨年より2週間早いのだ。4本わずかに顔を出したのを見つけることができただけだが、翌朝が楽しみだ。昨日はタラの実を天麩羅で食したが、明日はワラビのおしたしが食えるか?
2 吉田松陰は21歳で九州遊学(1850.8.25~12.29)を敢行し、江戸修学中には、脱藩までもして、東北遊学(1851.12.14~52.4.5)を試みた。極寒中のことだ。津軽半島の突端で、海峡越しにはるか蝦夷を望んでいる。東奔西走という言葉があるが、松蔭は南奔北走したわけだ。ただしこの人、長州といっても周防の大村益次郎(村田蔵六)とは違って、萩であり、雪国でもある。野獄でも「平気」(?)だった。我慢強かっただけかも。
 坂本龍馬は松蔭より5歳下にしかすぎないが、政治デビューははるかに遅かった。そのかわり龍馬は文字どおり、短期間に東奔西走した。ただし、越前福井に用達に出向いたことはあったが、北=雪国に行くことはなかった。土佐生まれで、生来の寒がり屋だ。京都で暗殺された折りも、寒さで縮こまり、風邪を引き、警戒心が鈍っていたことも、暗殺誘因の一つであったといってもいいのではあるまいか。ましてや雪国に住みつこうなどとは、夢の中以外では思わなかったにちがいない。
 榎本武揚は、龍馬より1歳下なのに、すでに10代で、蝦夷をこえ樺太探検まで敢行している。20代は長期オランダに留学した。オランダをはじめイギリス、ドイツ、フランス北部は、北海道並みに寒い。武陽が蝦夷をめざしたのは、官軍手薄の情勢もあったが、土地勘とともに気候的要因もあったのではあるまいか。武陽は千島・樺太交換条約締結のため特使として渡露して、外交勝利を収めたのち、シベリア鉄道横断まで敢行して帰国している。この人、寒さには強かった。
 「風土」というと和辻哲郎を思い起こし、あまりいい気がしないが、たしかに何事かをなそうとする場合の欠かせない条件ともなりうる、と思えるのだ。
 「昔は良かった」という70代以上の人に、反問するといい。「じゃあ、あの寒い中に戻ってもいいの?」と。もちろん臍曲がりの人もいるだろうが、ほとんどは、まっぴら御免と答えるにちがいない。暖房完備あればこその「北海道」である。
 龍馬の見果てない「夢」に、「蝦夷開拓」がある、といい、その「夢」を坂本一族が追い続けたのだ、という論調の本ばかりがある。好川之範『坂本龍馬 志は北にあり』(北海道新聞社 2010)、合田一道『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社 2004)、原口泉『坂本龍馬と北海道』(PHP新書 2010)などがその代表だ。ブリッグズ『さむがりやのサンタ』(福音館 1974)のような気分の、「龍馬と北海道」ものを書いてみたいと、拙著『坂本龍馬の野望』(PHP研究所 2009)の脱稿以来思いつつけてきた。誰も書かないのなら、書いてしまおうかな、と発起した。
3 仕事で片桐康夫『民間交流のパイオニア・渋沢栄一の国民外交』(藤原書店 2013.12.30)を読み、論じた。410頁の大冊かつ力作である。読むだけで優に4日かかった。フー、である。成果は十分にあった。