読書日々 1647 梅香空木の蕾が開く 

◆240614 読書日々 1647 梅香空木の蕾が開く
 今日も暑い。
 1 昨年の日記の「引用」からはじまる。この日記は、『文化手帳』(潮出版)とともに、防備録の役目も果たしている。
 《230624 読書日々 1148 梅花空木と中山正善
 好天が続く。花が咲いた。ベランダの前庭に、突然にだ。風情が、鉢植えとはまた違う。
 1 そういえば、コロナがはじまる前ではなかったろうか? 雑草に蔽われていたところを鎌で少しく刈り取ったときだった。規子さんが、苗木を植えてくれた。冬は厚い雪の下になる。押しつぶされないように、竹で支え囲いをあつらえてくれた。しかし、半年が過ぎ、雪が融け、春になっても、なんの兆候もない。草木に蔽われたままで、せいぜいまわりを刈り取るていどで、すっかり「花」の行方は念頭から去っていた。
 ところが3年目である。規子さんが花株2鉢を、ベランダに置いてくれた。蕾が、水をたっぷり注ぐと、数日で満開になった。窓越しであった。うっとりして眺め回していたその赤と黄色の花々の先に、長く葉を開いた蕗をはじめとする草草のなかに、白い蕾の群が窺えるではないか。花の名は忘れているが、雪に押しつぶされ消えてしまった花の名残に違いないと思い、鎌をひさしぶりに握って「庭」に向い、まわりの伸びきった草草を乱暴に刈り取る。と、白い蕾を沢山付けた、枝を伸ばした草木が姿を現わしたではないか。
 強い陽射しを浴び、数日すると満々たる白い花を咲かせたではないか。名前を改めて質した。「バイカウツギ」、アジサイ科バイカウツギ属の植物の一種。別名サツマウツギ。 和名の由来はウメに似た花を咲かせることから、「梅花」の名がある。ウツギは、「空木」。目の前にある草木は、丈はおよそ80センチ、30以上の満開の白い花を咲かせている。》
 2 今年も規子さんが、思い切ったように、まわりの草草を刈り取ると、高さは変わらないが横にぐんと張った「空木」が姿を見せた。6月の初めで、蕾も現れていなかった。でも、今年は「暑さ」の進行が直線的で、一週間を過ぎた一昨日、ベランダからも、1つだけだが蕾が大きくなり、先端が白く見える(ただし私の視力だから?)。蕾は多すぎて数え切れない。今日も暑いから、パッと開き切るのでは、と期待しているが、……
 3 新著『藤原不比等と紫式部』のゲラが出はじめた。
 関西方面に長く暮らしてきた。京、大和・奈良、大阪・神戸、それに三重、紀州等々の各地に、まだモータライゼーションが進行する以前、そして古都・名所巡りが盛んでなかった頃から、足繁く通った。金はなかったが、暇だけはあった。単独行だったが、少しだけ、古道・旧所等の地誌的「雰囲気」を体で覚えた。
 山科は旧都大津(天智が開いた)と背中合わせであり、大和川は大和と難波を繋ぐ「水道」であり、太宰府と瀬戸内海を通って大和へとつながる国際的なバイパス(シルクロードのターミナルステーション)であった、だから「難波」とは、現在の「大阪」(上町台地の北端)というより、上町台地の南端=「難波」、「堺」にずっと近い地域だった、ということになる。その難波と飛鳥の大和川上の中継基地が安宿(あすかべ)で、そこに盤踞したのが、田辺史(藤原史の庇護者)であり、また義父の蘇我大隅一族であった。
 それに飛鳥は、土地自体が狭く、しかも湿地帯で、大小の豪族たちが「盤踞」するのには都合がいい。だが、この飛鳥(南都)をどうやって「脱出」するか、飛鳥から「平城」や「平安」へと政都をかえ、大和→日本への転換を図る政治経済文化的要求が、古代史の中心にあった。今度の新著は、そんな地理体験が基底にあるのだという感覚を込めることができれば、……。