読書日々 723

◆150508 読書日々 723
野茂英雄とイチローは新人類の代表選手だ
 ゴールデンウィークは、すべて在宅、今ある仕事をたんたんとこなした。しかし咲いたと思ったらすぐに桜が散り、ようやくワラビが伸びはじめてきた。暖かい、じつにいい陽気が続く。
 ロバート・ホワイティング(1942~)はカリフォルニア州立大から上智大学に編入しをたジャーナリストで、『野茂英雄 日米野球をどう変えたか』(PHP新書 2011)を書いている。77年『菊とバット』を出したが、文化人類学者ルース・ベネディクト(1887~1948)の名著『菊と刀 日本文化の型』(1946)をなぞった書名である。「菊」=日本、「刀」=武士道に対して、「バット」は「野球」で、日米文化比較論である。
 わたしは、何度か書いたが、1970年前後に生まれた「新人類」に注目し、彼らが日本史上最強の人材(マン・パワー)である、と観測・言明し続けてきた。
 1970年、人類の歴史が二分されるような変化がはじまった。先進国で、消費中心社会と情報社会と高度大衆社会が離陸(テイクオフ)しはじめたのだった。生産中心・工業・大衆社会からの転換である。結果、10年して、離陸できなかった社会主義国は否も応もなく崩壊する。先進国は「デフレ」期に突入する。でこぼこはあっても、技術革新と生産性向上(イノベーション)があっても(あればあるほど)、「高品質低価格」(ハイクオリティ・ロープライス)の傾向はやまない。デフレ基調を脱却はできない。(したがって安倍政権が金融緩和をしようが、インフレ転換は困難で、デフレ基調は止まらない。)だが消費者にとっては、これほど都合のいい時代はない。
 野茂は、日米野球協定の網の目をくぐって(日本選手は任意引退すると、米球団と任意に契約を結ぶことができる。だが、米選手は任意引退しても、日本球団と雇用契約を結ぶ時、旧所属球団の同意を必要とする)、ロスアンジェルス・ドジャーズと契約を結び。近鉄が放し飼いの仰木から、「雑草・根性」の鈴木に監督が替わり、野茂を「調教」しようとしたからだった。
 野茂(トルネード)もイチロー(振り子打法)も「矯正」はもとより、「調教」も嫌う。これがジャイアンツの長島、王、松井と異なるところだ。イチローは、ドラフト4位でオリックスに入団した高卒ルーキーである。甲子園に2度出場、初戦敗退したが、高校時代の打撃アベレージは5割を超えていた。そのイチローをアホな監督が「矯正」しようとし、従わないイチローを2軍に2年間仕置きした。ところが幸運なことに、放し飼いの仰木がオリックスにやってきて、早速イチローを引き上げ、その年から7年間、イチローは撃ちまくって7年連続首位打者になった。
 イチローも、野茂と同じようにMBLを希望したが、仰木に多少とも恩義を感じたため、9年間オリックスに在籍した。球団は、イチローが10年「自由契約選手」資格を得る1年前、ようやく移籍を認める。ただし、さすがは金本位のオリックスである。1500万ドルの「ポスティング」(入札)料を得るための「善処」であった。
 野茂は、ダン野村の指導よろしく、「隙間」からMBLにはいって、裏切り者、売国奴、二度と日本の土を踏むな、とさえいわれたのだ。だが野茂は実力通り、半端ない活躍をする。日米野球に新時代が到来した。野茂の最高成績は、2度にわたる「ノーヒッター」ゲームである。二度目は、二度三度と肩と肘を壊し、カムバック不能と思われた時期に達成した。
 野茂がこじ開けたMBLの扉を、イチローは正面から入っていった。しかもイチローは入ったその年から、米選手もフアンも真っ青の活躍で、大リーク記録を立て続けに破りはじめた。10年連続200安打は、これからも破られないのではないだろうか。しかし日本で9年、米マリナーズで11年である。さすがのイチローも減退期に入ったかに見える。そのとき彼はNYヤンキースに転じた。一種のギャンブルである。ヤンキースは、世代交代期、2年半で、イチローを放出する。イチローはそれでもめげない。フロリダ・マリーンズでは、控えの選手だ。野茂が速球投手の面影もなく、体重が20パーセントオバーでも投げ続けた。イチローは振り子打法の面影がなくなっても、端正なスタイルで、打ち獲り投げ走り回る。このなんども難局を乗り切る持続力。野茂とイチローこそ、この時代の申し子である。そうおもいませんか。そうそう、将棋の羽生善治、競馬の武豊は、さらにすごいといいたい。