読書日々 724

◆150515 読書日々 724
大阪で、串カツを食べ、油にやられたらしい。まずいね
1 5/11~5/14 大阪にいました。久しぶりです。
 5/11 最初に、唯一行きつけの店(北新地の室戸)で浦西さんと会い、谷沢先生のことで相談した。妥当な案が出たと思う。
 5/12 大学以来の友人、田畑君と紀伊國屋書店で待ち合わせをし、丸福コーヒー店で談笑、しばらくしてやはり哲学にすすんだ笹田君がやってきた。たがいに年老いたのは否めないが、ここまで大過なく生き延びたのではないだろうか。笹田君の行きつけ(?)の居酒屋(12時開店)に行くと、すでに満員、ビール3杯、刺身とおでんをとって、一人2000円余。安い。女子が、がぶがぶ飲むのはもっともかもしれない。昼間からはしご酒をし、夕刻分かれた。予報通り、台風の余波来襲、雨の中をホテルに帰る途中、室戸に引っかかった。
 5/13 書評用の本『女たちの審判』(日経 2015.2)を読み、新世界に出かけた。50年近く前、はじめて大阪に来た時に訪れて以来である。映像ではなんどもで会っているが、浅草の六区とはまた違う、独特のケバイ雰囲気だ。24時間営業の、堂々たる名物、串カツ・土手焼きの店が何軒かある。通天閣には登らず、真横の店『だるま』に入る。11時ちょっと、2人目の客だ。油っぽいものは苦手だが、ここも安い。ビール、焼酎、酒と名物をかなり食べて満足して、3000円に届かない。客あしらいも丁寧。なによりも活気がある。しかし、新世界全体で見ると沈み込んでいる感は否めない。まるで、路地裏の雰囲気である。早々とホテルに戻った。夜は口直しに寿司屋に行ったが、ここは見栄ばかりで、高い。
 5/14 知り合いに会おうと思ったが、やはり昨日の串カツがたたっている。11時にホテルを出て、お初天神裏の路地伝いに阪神梅田駅へ向かったが、なんと室戸が開いている。神戸空港に向かう時間まで、ここで待機。ただし、この店は旨い生ものを出すが、バカ高い。
 スムーズに神戸空港に到着。この空港は、アプローチのポートライナーが素敵で、シンプルで、閑散としていていい。定刻きっかりに出発し、定刻前に千歳に着く。やはり疲れた。これが最後の大阪かな。
2 5/13 上阪中に、友人のKさんから、牧下德子さんが亡くなったというメールが入った。古くからの友人で、在日外国人労働者の支援や、人権侵害から守る運動をずーっと続けてきた人で、わたしにとっては気を許せる飲み友だちだった。中村久子さんたちと作った『北海道で活躍する女性人名事典』(三一書房 1995)にも登場してもらった。この売れなかった本の印税をもとに、共著者たちで金沢能登旅行をしたことがいまも強く記憶に残っている。牧下さんには、のちに10回ほど、ゲスト講師として旧勤務校札幌大学に来てもらったことがある。飲むと豪快になるのに、講義は謹厳そのものだった。ご主人が亡くなられてからは、会う機会も少なくなったが、飲む店が同じなこともあって、遅く時々出会った。おしゃれで、とくに男性的なカットにこだわり、バカがつくほどの子煩悩で、老いてますます元気の感があった。だから亡くなると、より寂しい。合掌。
 女友達は、ご主人がどんどん亡くなる。あの人も、この人もで、総じて外出が減るようだ。男のわたしは、老いて、週一街に出るのがやっとになった。それでも出て行かないと、何か力がさらに退いてゆく感にとらわれる。
3 いま、桑原武夫を書き始めている。敗戦直後、論壇に頭角を現したのが、丸山真男だった。「超国家主義の論理と心理」(47年)である。しかし、桑原武夫の「日本現代小説の弱点」や「第二芸術」(46年)を忘れることは許されないだろう。しかも桑原は、丸山が隠れマルキストだったのに対し、一貫して自分は「進歩的文化人」であるを、押し通している。肯定する意味でだ。
 桑原の「俳句は第二芸術である」は、戦後論壇・文壇を賑わせた、今日でも色あせないテーマである。ただし、桑原は、戦術だろうか、日本の小説には社会性がない、という自説を、西田幾多郎の言表を権威に語っている。まったくおかしな議論で、紫式部の文学評価を親鸞にゆだねるようなものである。
 学知の雑居性をだれよりも主張した桑原が、その思惑とは別に、芸術の純粋性=「第一芸術」を主張し、俗(大衆)芸術を第二=従とする議論を展開することになった結果に、不審を抱くのはわたしだけではないだろう。丸山や桑原の、加えれば鶴見俊輔の言論魅力は「雑知」のなかにある。しかもその雑知を桑原がもっとも強く押し出したのだから、桑原を岩波・筑摩文化人の仲間に入れるのは、惜しい。