◆250404 読書日々 1191 岩波書店で、1冊分書いた
視力が落ちたので、明るい照明がつらくなったが、何、TVは見ている。裸眼なら文庫本もいとわない。もっとも、自著を読む機会が増えた。これも「耄碌」の一つか! 自分の書いたものの足下が暗くなったのか? まずいね。
朝から手をつけたい事例があったが、結局、岩波書店で書いた長めの3本と書評の連載を集めて1冊にする作業(校正)を行った。総題は『インビジブル・カレッジ』。岩波書店の『思想』は、私が書きはじめ(70年代前後)の時代、まだ権威があった。80年代、私は、どんな注文であれ、注文があれば、応じて書いた。総計、かすかす1冊になるていどの論稿+書評(1年分)を書いた。どれも面白く書いた。まだ若さが抜けきっていなかったので、それも「地方」育ちだったので、多少皮肉を込めて書いた。勿論、岩波である。「検閲」めいたものはなかった。しかし、書評の場合は、右翼的論客とみなされる著者の本を取り上げると、「読者」欄に、すぐ「こんな政府を支持するものの本を取り上げるなどとは何のことか?!」というような意見がのった。編集者も大変だなあ、と思えた。
ま、あまり売れない著者のほうからは、逆に、編集担当者から、一覧表をめくられ、売り上げ〇×%と、よく言われた。ま、私はわんさと本を出してもらった方だが、売れ行きも気になった。今もなる。印税があるからでも(多少)あるが、1冊になったことによる。
岩波は、稿料がよかった。心底ビックリした。その上、私の友人のなかには、本は岩波・中公(文庫・新書)と考える人がいた。多少ひにくっぽくほほえんだのがいけなかった。お前には、岩波も中公もないくせに、という顔をされた。
私の先生筋の渡部、谷沢さんは、岩波を立体的に追撃したが、中公には「好意」を持っていた。私のも中公新書に2冊入っているが、すぐに「絶版」になった。……
こんなことを書いても、何にもならない。でも書いてしまうところが……