◆141225 読書日々 486
五代友厚というビジネスエリート
朝ドラの「あさが来た」のキパースンは、五代友厚(1835~85)だ。紀尾井坂で暗殺された大久保利通(1830~78)と享年はほとんど変わらない。それでも、明治14年の政変(大隈参議を閣外に追放した)に一役買っている。福沢諭吉、坂本龍馬、岩崎弥太郎と同年で、五代と岩崎は同じ年に没している。
福沢諭吉論をかこう。それも論文体ではなく、小説体で、しかもミステリ仕立てで書いてみようと思ったのは、もう10年前だ。もちろん、諭吉全集が「種」本になるが、福沢村の由吉(ゆきち)という若い伴走者を創作し、幕末から明治を駆け抜けた諸「事件」を諭吉が解き明かす、という構想を持っている。全三巻の出だしが、薩英戦争で、海軍の長官と副官が英艦船の捕虜となった。松木弘安(のちの寺島宗則)と五代で、薩摩藩からスパイ嫌疑がかかり、一時、二人は熊谷近郊の寒村に身を隠した。
私見では、明治期に、すぐれたビジネスエリートがいた。渋沢栄一(慶喜家臣 1940~1931)、そして五代才助(友厚 薩摩)と岩崎弥太郎(土佐)、最後に福沢諭吉(中津/幕臣)である。
五代の「種」の基本は、日本とりわけ大阪経済史の泰斗宮本又次の名著『五代友厚伝』(有斐閣 1980)からもらった。わたしの在学中は、宮本さんは経済学部にまだおられた。札幌の中村嘉人さんは宮本ゼミ出身であった。またNHKの「あさが来た」の監修をやっている宮本又郎(1943~)は又次さんの息子で、父親の後(同ゼミ)を継いでいる。今日の朝日の朝刊に『五代友厚 商都大阪をつくった男』(NHK出版)の広告が出ていた。別にわたしが手にした本は、佐江衆一『士魂商才 五代友厚』(講談社文庫 2009)がある。これは小説家の手になる小説で、巻末近く、
《女は駆け寄って、小娘のような声をあげた。十五年前、武州下奈良村に身をひそめていたときにねんごろになった、吉田六左右衛門の姪のあのお多喜である。維新の混乱で吉田家もお多喜の家も没落、お多喜は東京柳橋の芸者に出た。その抱え主が大阪の松島新地に移ったのでお多喜もこちらにきて、たまたま松島新地へ遊びに行った友厚と出会ったのである。》とある。友厚、艶福家でも知られた。
この五代、龍馬の経営指南役であり、若い時から龍馬と旧知の岩崎と激しい火花を散らした。そして道民にとって忘れられないのは、
「この五代が、開拓使官有物払い下げで開拓使長官黒田とともに集中砲火を浴びたのであった。奇しくも砲撃の背後にいたのは、かっての上司大隈であり、畏友とでもいうべき福沢であり、そして商敵であった岩崎彌太郎である。
明治十四年七月、黒田長官の部下であった安田(大書記官〔官房長〕)や折田(権大書記官)が職を辞し、北海社を設立して、開拓使廃止を期して開拓使経営の倉庫、地所、桑園、牧場、ビール醸造所、葡萄酒製造所、ラッコ猟場、缶詰製造所、船舶等を、総額三十八万円余、三十年年賦、無利子という条件で払い下げられることを開拓使に申請した。
同七月、五代を筆頭とする大阪商法会議所の豪商たちが設立した関西貿易社が、岩内炭鉱、厚岸山林の払い下げによって、石炭、木材を海外に輸出し、北海道沿岸の海産物を採取して、内地の需要を満たそうとする事業を開拓使に願い出た。
この二つの申請が同時に閣議にかかり、まず関西貿易社が許可になった。しかし、黒田と、その下僚の安田等、そして五代と、払い下げに関わった中心人物は全部薩摩閥であり、薩摩閥による官民癒着であり、北海社は関西貿易社すなわち五代の「隠れ蓑」であるとの批判がいっせいに起こった。火をつけたのが大隈であり、それを大火事にしたのが福沢、岩崎の一統である。」(拙稿『福沢諭吉の事件簿』第二巻の一節)
激烈な闘いの火ぶたが切られた。薩長閥の勝利である。伊藤が政権を握った。その影で動いたのが五代であった。「明治14年の政変」だ。大隈、板垣等が下野し、岩崎も福沢もいっぱい血にまみれた。明治維新の第二ラウンドが開始されたのだ。
北海道にとって、五代は「悪徳商人」の代表格とみなされてきた。だが、五代も、そして一時は対立した福沢も、「自由市場経済」の拡大を図る企業家(ビジネスマン)である。「官有物払い下げ」の撤回によって、北海道経済は、100年歩みを止めた、といっていいだろう。