◆160318 読書日々 498
書きすぎたのではない。書き足りないのだ。
春一番も吹かないのに、春まぢかになった。庭の雪も、過半が消えた。不気味なほどに平穏である。ここに来て三〇年余になるが、こんな春へのアプローチはまったく初めてで、むしろ不気味だ。
1 『評伝山本七平』(言視舎)の再校をしている。よほどのないかぎり明日で終わるだろう。あとは短い「あとがき」が残るだけになる。少し楽になる。
2 今西錦司を再読している。結局、あれもこれも一通り開いてみようという気持もあって、全集を買ってしまった。これ以上かさばってはならないのに、何としたことであろう。
探検と登山が、今西の研究と直に結びついていて、なんだかとても楽しそうだ。この人、梅棹忠夫と同じように、京都の商家のぼんぼんである。親が亡くなって、姉妹三人を「相続した」と書く。ううね。わたしは74歳になったのに、この人の本と遊ぶのが、心底楽しい。よく京都学派といわれるが、内藤湖南と今西錦司をもってその代表者とみなすべきだろう。
3 経営コンサルタント業は、大学教授業と同じように、学歴を問われない。だが、学歴詐称で、ビジネスをすると、とりわけTVのニュース・情報番組に登場し、コメンテーターや司会者として振る舞うと、不問に付すことはできなくなる。当事者責任が問われる。最低でも、なぜ学歴・ビジネス歴詐称する必要がなぜあったのか、を明示しなければならない。「点検不備だった」などでごまかしては論外だ。学歴など、「仕事」内容には無関係で、信用するのは、信用する視聴者のほうがおかしいのだ、というわけにはいかなくなる。
古舘はショーン・Kのコメントが新鮮で的確だったという。わたしには、何度か聞いたが、その学歴いかんを問わず、まったく陳腐で的外れだったように思えた。姜尚中(かんさんじゅん)と同じようにだ。ほとんど論点をずらした、そのばしのぎのコメントに終始している。非難しているのではない。ま、ほとんどのコメンテーターというのは、同類だと思える。もちろん古館の司会ぶりやコメントが、的確だ、と思ったことは、ほとんどない。はやく歯切れよくやれる、芸能スポーツというホームグランドに帰っておいで、といいたい。
4 ドラマは、やはりのこと、男女一組の場合は別として、主役が二人いては「成功」しない。端的には高視聴率をとれない。昨日終わった今シーズン「相棒」がまさにそうだった。ただし、だからこそむしろ健闘したというべきだろう。それにしても、二人は「臭い」演技しかできない。そこがまた魅力なのかも知れない。
このごろはTVの旅番組で「旅行」している。関口知宏(1972~)のチェコを鉄道で一周の旅は、ことのほか面白かった。チェコは、面積が北海道と同じくらいで、人口は倍ほどある。植生を観ると、緯度は北海道より10度ほど高いのに、北海道とほとんど同じだ。ピルゼンビールもある。もし北海道の半分が(ルーズベルトとスターリンの密約のように)ソ連に占領されていたら、チェコと同じような、あるいは朝鮮半島と同じようなことになっていただろう。北海道には、カフカやチャペックのような、特異な作家は現れていないが、ソ連「文学」に迎合するような作家なら、わんさと出たかも知れない。
一仕事終え、チェコを鉄道で一周したいな、と女房にいったら、せせら笑われた。ま、新車を買って一年するのに、まだ走行距離三〇〇〇キロを少し超した程度に過ぎない。車が泣くというものだ。
5 いまから来年のことをいまからいったら、鬼が笑うどころの騒ぎではないだろう。が、3月には『日本人の哲学4』を完成し、有終の美(?)を飾ることができていると思える。え、「幽囚の日」の間違いではないかって。ま、それでもいい。プランを実行する。それがわたしのやり方なのだから。よくバカに、おまえは書きすぎだといわれてきた。これでも書き足りないのだ。自分にはそう言い聞かせている。