読書日々 823

◆170331 読書日々 823
背戸逸夫が逝った
 昨30日、季節外れの積雪があった。すぐ融けるだろうが、大雪である。
 1 追悼記念号『本格一筋六十年 思い出の鮎川哲也』(山前譲編 東京創元社 2002)の編者は、ミステリ評論家の山前譲で、この人も北海道・北大出身だ。筆名鮎川哲也(本名中川透)をミステリ界の住人(プロ)にした『黒いトランク』(1956)の光文社文庫版(2002)の解説を書いたのも、山前譲だ。
 山前は、新保博とともに、江戸川乱歩全集(光文社文庫 全30巻)を監修している。この全集は便利というか、作品を耽読(?)するのに最適だ。注等が半端でない。「一身田の本願寺」という記述に詳しく注がある。「一身田」は、津市の町名で、名鉄の「日本橋」駅にある。ここに、わたしが最初に職をえて、8年間給料を貰った「津市立三重短期大学」がある。法経と家政の2科、昼夜2部制の短大で、わたしがいま現在も仕事が出来ているのは、この大学のおかげである、といっていい。
 山前(1956~)が鮎川(1902~2002)に最初に出会ったのは、81年8月のことで、「思い出は多すぎて」で、津村秀介の名も出てくる。そういえば、乱歩は、名張で生まれ、翌年父の移動とともに、亀山にこしている。三重の上野(現伊賀)に8年住んだからいうのではないが、名張、亀山は、指呼の間である。そればかりではなく、大学も、哲学科も、専攻も同じだった畏友の田畑稔の出身地が、名張であった。実家は妹さんが継いだ大きな呉服屋で、何度か訪れ食事をふるまれたことがある。名張には、いま、三重短大の同僚だった尾崎さんが住んでいる。
 2 新保は、乱歩フリークというわけではないが、やはり山前との編著『幻影城の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』(東京書籍 2002)で、乱歩がなぜミステリーを書かなくなったのか、を単刀直入に書く。乱歩は、ミステリにはオリジナリティ(独創)がなければ無価値だと思っていた。だが純粋なオリジナリティはどれほど才能豊かな作家でも早晩枯渇する。初期作品に乱歩は惜しみなくオリジナリティを注ぎ込んだため、休筆、遅筆に追い込まれた。ところが戦後(というか戦時から)、居直って「人真似を恥じなくなった」(というか自作の二番煎じ、出がらしをさえ恥じなくなった)。至言である。これは、横溝正史と逆コースの歩みで、横溝は、戦後、『本陣殺人事件』でミステリ作家として本格デビューした。ま、ミステリならずとも、純粋なまるまるの独創性など存在しない、とわたしは最初から「居直る」ことにしているが。つまりは先人たちの造物(作品)の「付け足し」、「組み直し」等が、オリジナリティの正体だからだ。「新奇」を好んで、ひたすら「異端」に走るものの「無知」が、独創性を名乗らせるのだ。といって、オリジナリティを笑っているのではない。一つでも、ひとかけらにせよ、新しいトンネルを掘ることが出来れば幸運だろう。でも独力で掘り抜くのは至難なのだ。
 3 畏友の背戸逸夫が亡くなった。3月23日未明で、脳溢血だった(そうだ)。編集者を貫き、開高健、谷沢永一をわたしに紹介してくれただけでなく、無名のわたしを2番目に訪ねてくれ、雑誌に書評を連載させてくれた、幸運を運ぶ編集者で、35年余のつきあいだった。開高が亡くなり、谷沢先生が逝き、そして酒友でもある背戸が目前から居なくなった。いつものことだが、次は自分だと思える。
 28日、札幌でよく同席した、中村嘉人さんと、遅れて井上美香と三人で、杯を目の上に上げた。安らかなれ! 背戸さんは、わたしと同じ歳に生まれだ。京大法学部出身で、潮出版に入り、『潮』の編集長を勤め、取締役で退社し、『理念と経営』の編集局長・取締役でその充実した生涯を終えた。よく闘った、とわたしなどいえる柄ではないが、やはりそういいたい。でも一言、惜しむらくは、人(作家)好きだったが、作品(小説)鑑賞に精粗があった。