読書日々 826

◆170421 読書日々 826
「急行日本海」  遠きにありて思うもの
 「三寒四温」という言葉を中学の地理の時間に習った。先生は、朝鮮半島の冬期の天候状態をさすので、北海道にも共通するといわれた。先生は、戦時中、苗穂の糧秣(りょうまつ)所に属する主計士官で、義父、のちにわたしの妻になる人の父であった。敗戦後、暖房の十分でない季節では、あと半月で桜の季節を迎えるまで、冬と春が交互するやっかいな時期にぴったりな表現と思えた。この季節になると、いつもというわけではないが、思い起こす言葉だ。
 1 先週である。渡部昇一先生の書庫・書籍についてほんのちょっと触れた。その先生が4/17日亡くなった。今年は、三浦朱門先生、背戸逸夫(『理念と経営』編集局長)さんというかけがいのない人を失った。それもそのはず、わたしも背戸も、70代の半ばに達したのだ。義父は49、父が69で去ったのだから、むしろわたしなどは長命の部類に入る。むしろ『日本人の哲学』の5「歴史の哲学」、8「人生の哲学」で、渡部先生の著作・哲学を取り上げ、特記できたことに感謝しなければならないだろう。著者の著作をあげつらうのは難しくない。誰とて欠陥はある。しかし、日本人ならびに人類の遺産になりうるものを評価できなくて、どうする、という思いで、『日本人の哲学』を書き綴ってきた。
 2 『日本人の哲学名言100』(言視舎)をいちおう仕上げた。思いの外、時間がかかった。拙著『日本人の哲学』の「要綱」を兼ねたもので、従来の大学=講壇(スコラ=スクール)哲学とは異質な、哲学のアウトライン、それも血肉のあるものを提示できると思える。
 仕事で梅田悟司『「言葉にできる」は武器になる。』(日本経済新聞社 2016.8.25)と池田千恵『朝の余白で人生を変える』(ディスカバー 2016.11.25)を評した。前者は「内なる言葉」の充実を図れというコピーライターの本で、「外なる言葉」、とりわけ書読、書解の充実をどうやって図るのか、を全くパスしている。後者は「朝活」をビジネスとしているコンサルタント(?)の本で、受験勉強で朝活者になり、今に来ているわたしにとっては、興味ある本と思えたが、「朝起きて、やることが決まっているのが、幸福術の要諦だ。」(ヒルティ)などとは無縁である。
 本を読んだからって、人間力が充実するわけではない。逆に、仕事から逃避型のレイジイを生み出すもとになる。しかし、言葉を磨くだの、朝をブランクですごそうだのというのは、その本筋から外れると、凡庸かつ恐ろしい。
 3 昼まで仕事人間でいたい。それからは「余白」で、と決めた。その余白、ほとんどはTVと酒だが、いまは鮎川哲也で足踏みしている。今週は、『ペトロフ事件』(光文社文庫)と『こんな探偵小説が読みたい』(晶文社 1992)だ。『ペトロフ事件』は、鮎川の最初の長編小説で、戦時中に書きあげたが、原稿が失せ、書き直して『宝石』(岩谷書店)の懸賞に入選(1950)した。が、賞金の未払いや、単行本にならず等々で、一歩間違えば不出世のミステリ作家を失いかねなかった。本書は、のちに書き直しを経て現在の形になった、いわく付きの「出世作」である。『黒いトランク』もそうだが、その緻密なアリバイ(不在証明)作為と、アリバイ崩しは、いまのわたしの頭脳ではとうてい太刀打ちできない。だが、インベスティゲーション(調査・探求)の醍醐味を存分に味あわせてくれる逸品だ。
 鮎川は、旧制中学まで、満洲・大連育ちだ。作品には、ペトロフ事件の舞台になった満洲を走る、新幹線のモデルとなった、満鉄アジア号(弾丸特急)も登場する。先日、シベリア鉄道旅をTVで覗いた。ハードクラスとソフトクラスとに分かれる。寝台座席のことで、言いえて妙だ。すぐに、日本海沿いを走る、札幌・大阪間を往復した、急行日本海や特急白鳥を思い起こした。それも、いまはない。別に惜しんでこれをいうのではない。なくなったから、惜しく、愛しく思えるので、煤煙を吐いて走る列車は、鼻耳の穴は真っ黒、シャツは黄色あせて、気持ち悪いことこの上なかったのだ。