読書日々 832

170602 読書日日 832
『北方文芸』の旧拙文を探し、読んでいる
 一段と涼しくなった。というか、これが通常だろう。それに雨模様である。
 1 北海道文学館の谷口専務理事に頼まれ、「『北方文芸』はなんであったか?」を書くために、資料を探しに厚別の旧「研究所」に来た。2012まで、わたしの記録(書いたモノ)が整理されている。わたは、実質200~300号まで、編集にかかわった。それでも退いてから25年になる。膨大な時間が流れた勘定だ。記憶と記録で書くしかないが、どちらも「わたしのモノ」という限定になる。
 それでも、自分が書いた記録は残っているものだ。やはり、井上(助手)さんを配して、資料つくり、デジタルつくりをしておいてよかった。
 かつて書いたものを瞥見すると、やはり書き手のことがより強く深く思い起こされる。書き手を大事にしない編集者は無意味だ。その点で、川辺為三、森山軍治郎、それにわたしの3人組は、三者三様、健闘したのではないだろうか? 二人が亡くなってしまったので、こういう責務はあると思える。
 2 当分、仕事も生活も、長沼と厚別の二つになる。やっかいなのは、運転免許を返上したことで、簡便な交通ルートを失ったことだ。が、自分の選んだことだ。文句はいえない。
 やり残した仕事は二つある。諭吉と雪嶺だ。やり方も決まっている。あとは力仕事である。両方あわせれば、800枚を超えるかもしれないが、寿命が許してくれるのかな。
 それにパソコンにはストック(?)があと20冊分くらい残っている。ケチで「消去」できないのが、つらい。
 3 電子版・北海道マガジン『カイ』をおもしろく拝見している。写真がいい。文学もマチ散歩も、しゃれている。できれば地域に根ざした「人」探訪もほしい。特に、もの書く人であってほしい。「記録」に耐えうる人だ。三浦綾子はまずは作家だったのだ。その存否をまるで問わない紹介なんて、なんだろう。
 それにしても、紙のときからこの雑誌は洗練されている。シャープでもある。贅沢をいうと、歌がない。無響無機質に思える。ま、そこが作り手の美質なのかもしれないが。
 4 名張の中相作(江戸川乱歩研究者)さんが、乱歩論の執筆を快諾してくれた。できあがりを楽しみに待っていよう。
 5 5/29 『理念と経営』の経営者、川本さんと編集者、宮崎・山本さんと会った。インタビューを終えた井上美香さんも一緒で、すぐネキの寿司屋に入ったが、いつもとことなり、カウンターに座れなかった。急逝した背戸編集局長のことで予想したとおりの発言が川本さんからあり、この快男児と35年間つきあってきて、人さまざまなこと、いたく実感した。それでも背戸さんに対するわたしの基本評価は変わらない。わたしに初めて連載の書評を書かせ、75になるまで、途切れ途切れはあったが、つづいた。2人の「人生」が幸運に恵まれたせいでもあったろう。
 6 相変わらず鮎川哲也のミステリ(本格モノ)を読んでいる。『憎悪の化石』(1959)は、鮎川名義で書いた2作目の長編本格もので、これで第13回日本探偵作家クラブ賞をえたものの、乱歩などには好評ではなかったそうだ。しかし、解説を書いている山前謙と同じように、『黒いトランク』(1956)とは別種の、よくある「平凡」な犯罪があって、しかし考えられたトリックがあり、偶然という媒材によって、その真相が覆われ、それを刑事たちが丹念に、解きほぐしてゆくという、……。それに「憎悪」の意味がよくよくわかるように描かれている。
 『人はそれを情死とよぶ』(1961)、発端から、この作品は清張『点と線』(1958)を意識して書いているな、ということがわかる。もちろん、鮎川のほうが「論理」(トリック)が緻密である。警官に、社会派特有の「正義の顔」がない。この点、解説(山前)と同じように、鮎川の美質としたい。この作品も、何度か映像化されたそうだが、わたしも知らないのだから、ヒットしたわけではないだろう。鮎川作品を読む楽しみに、じつに懐かしい地名とその描写が出てくることだ。1作品に、10や20ではないようにさえ感じられる。