◆170721 読書日々 839
女4人集まれば、「かしましい+アルファ」とはいうけれど
1 曾祖父の77、祖父の50.父の33、母の13、義父の50回忌を7月16日におこなった。家はマンションの中だが、仏壇だけは「立派」(?)だ。全員、信心が薄い。姉2、妹2(+義弟1)、息子1、娘2(+義息1)、孫2+2、姪1、それにわたしたち2の少人数だ。だが、わたしが冠婚葬祭等に出ないため、ひさしぶりにわが姉妹が一堂に会した。年忌にと、冊子を作った。その説明のとき、ま、騒がしいのといったらない。4人のジャブがとまらない。冊子を作ったかいがあったというものだろう。
父の妹たち(オバ)や母が集まると、どんぶりをひっくり返したような騒がしさになった。わが姉妹たちもそのまさに再現というべきだろう。叔母たちはいまもって健在だ。最年長はおそらく90を半ば超えているのではないだろうか? わたしの姉妹たちも、体のほうはもとより頭のほうも緩んでいるようだ。もちろんわたしも例外ではない。しゃべっていないと、実体がばらばらになると感じているがゆえの「話」に違いない。それでもまあ、これで一緒に集まるのは最後かもしれないので、ほっとした。
2 今週は、鮎川哲也『死のある風景』(1965)と『風の証言』(1971)を読んだ。これで長編では、星影龍三もの『朱の絶筆』(1979)を残すだけとなった。相変わらずわたしは、登場する地名に惹かれ、つい拘る。『死のある風景』では、阿蘇(熊本で学会)、内灘(清水幾太郎)、香林坊(ハンドクラフトの万年筆)、北区滝野川(石神井川)、尾久(操車場=車両センター)、秋留(飯島宗享先生)等々が、『風の証言』では、石神井(母の叔父)、田原(渡辺崋山)、伊良湖(柳田国男)、麹町(ダイヤモンドホテル)、信州大学繊維学部(1910年創立上田蚕糸専門学校)等々。けっこうというか、予想以上に、鮎川作品に、足を踏んだり、読んだりした地名が登場する。
どんなに犯罪濃厚でも(A以外では不可能と思えても)、Aのアリバイが「成立」するなら、不可能犯であり、犯罪を「証拠」づけたことにはならない。これが鮎川ミステリの不文律である。マスコミ等の、「火のないところに煙は立たない」式とはまるで違う。最も困難なのは、双子による犯罪で、アリバイ崩しで、犯人がいずれか、を特定できなければ、有罪を確定できない、とする。『風の証言』はこのアリバイ崩しに挑戦する、鬼面警部と丹那刑事のコンビぶりが丹念に描かれる。
『死のある風景』も、「犯人」はこれ以外にあり得ない、と特定される。しかし、鉄壁の(とも思える)アリバイが(「用意」され、)「成立」している。それを著者とともに、破ってゆく。相変わらず難解だ。
3 都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(晶文社 1975)を再読。ここで、エラリイ・クイーンを本格推理小説のスタイルを確立した大天才、とみなすが、ダイイング・メッセージにとりつかれてから、だめになったような気がする、『Xの悲劇』以外は「無理がある」とまで断じる。クイーンを「師」と仰ぐ鮎川に「ダイイング・メッセージ」がはいった「もの」がある。『翳ある墓標』(1962)で、犯人にもわからないメッセージが残こされる。この解読に手間取るが、解読できても、それが犯人確定の決めて(証拠)にはならないもどかしさが残る。
都筑は、本格もの一辺倒を批判しているので、長編の理想はエラリイ・クイーンの国名シリーズ、短編の理想はチェスタトンのブラウン神父シリーズと断言しているところからも明らかなように、鮎川の『ペトロフ事件』を評価し、「事件そのものよりも解決の倫理に重きをおく」が、パズラーの生き残る道だという。同意できる。
4 新しい仕事の準備はできたが、なかなか書き始まらない。まずいね。