読書日々 852

◆171020 読書日々 852
玄冬、失われし時を……
 人生、玄冬期にいたった、と先週書いた。季節もまるで冬の初めのような日(朝)が続いたが、昨朝からましになった。
 18日、運送屋さんによる引っ越しが終わった。といってわたしは何かをしたわけではない。引っ越しを人並みにやってきた。最後の2回は、ほとんど何もしていない。これで最後の引っ越しになる(だろう)。
 昨日、居間の書棚に自著を並べた。七段に詰まるのだから壮観(?)だ。ほとんどが書き下ろしで、それに書評集がかなりある。韓・中・台訳が10数冊。2階の研究所にも、棚が10並んだ。ぼちぼちとなかみを並べなければならない。なんだか玄冬の仕事ではないようだ。また長沼にもかなりの本が残っている。その整理もある。ま、これは来年暖かくなってからか。
 1 5月、三重等の旅から戻って、6~9月まで、多少長めの「北方文芸とな何であったか?」、「文学部とは何か?」、7~8枚の「ロシア革命100年 われわれは何を学んだのか?」「追悼・笹田利光」を書き、書き下ろしを2冊書いた。そのほかに書評の連載等があった。特段に忙しかったわけではないが、校正がつらい。11月には、函館で「書評という仕事」(講演)があり、ヒルティ『幸福論』解説を書く。こちらも何度か書いてきたことの再演に近い。
 といってもすべて締め切り仕事だった。それに期日が短く、気疲れ(?)も溜まっている。何せ、コンクリートの箱の中だ。自炊(?)である。一休止のため、函館講演の前に、「行きたいな」と伝えた、栃木の秘湯、板室の大黒屋で友人たちが集まる会に参加しようかどうか、で迷っている。この迷いも玄冬のせいか。
 2 10/14 中澤千磨夫さんの出版記念会があった。盛会だった。そのあと、学会でやってきた元同僚の尾崎さんと飲んだ。「文学部とは何か?」の稿料代わりに、二松學舍の江藤さんから送られた、長崎名物のトビウオ(あご)の丸干を「きらく」で焼いてもらい、イスラエルのワインとともに堪能した。そうそう、アゴといえば、長沼の自宅で、日刊ゲンダイの鈴木さんと、真夏、西日を受けながら、七輪で焼いて食べた丸干しは、絶品だった。
 というように、何かを食べると、その何の記憶が生々しく甦ってくる。米が不作の時、タイ米が手に入り(?)、激辛のカレーを作ってもらい、東(ミステリ作家)さんと汗をかきかき食べたときもあった。これも真夏だった。この情景にダブルのが、曽野さんの招きでミヤンマへの調査旅行に同伴したとき、青(緑)の唐辛子満載のカレーを全身(眼球まで)汗まみれで食べたときだ。アルミのボールに満杯の飯を、皿によそって、スープ状の具をたっぷりかけるだけなのだが、脳天の頂が破れそうな辛旨さなのだ。で癖になる。ほかに食べるものが少ないこともあったが。まだスーチーが軟禁状態だったときのことだ。
 プルースト『失われた時を求めて』のマドレーヌの記憶と比べると、卑にして粗なること、紛れもない。といってもプルーストの作品を、文字通り、読んだに過ぎないが。
 3 鮎川哲也は、アンソロジーに進む。最初期の「鉄道ミステリー傑作選」の三部作『下り「はつかり」』『急行出雲』『見えない機関車』は、読み応えがいいというか、登場作家も多士済々で、作品も見栄え満載だ。
 鮎川が、ミステリも書いた大西巨人を知っていて当然だろうが、息子の赤人の才能を買っていたのを知った。また在道作家、高城高の「踏切」を入れている。この作品、小品だが、スマートで、それに出てくる地名が、昭和30年代の札幌(一部江別)の土地勘とすべて結びつく。少年期だ。江別の酒造会社に配当代わりの酒をもらいに行き、2本風呂敷に包んで背負い、石狩川の橋を線路沿いに渡ったときのことが強く記憶に残っている。