読書日々 888

◆180629 読書日々 888
日本サッカー、見事(予想外)決勝トーナメント進出
 パッとしない天気だ。これがこの季節の普通だ。仕事は進まないが、急ぐこともない。
 1 穂積重遠『新訳論語』(1947)はおよそ半ばにきた。全20篇中、10「郷党」篇だ。
 論語読解のスタンダードは、簡野道明『論語解義』(1916)として知られている。重遠も、愛読してきた『ポケット論語』(新註『朱熹 集註』 矢野恒太 読方略解記入〔朱熹 1130-1200 矢野恒太 1865-1951」 1909)を45年3月10日の爆撃で、蔵書ともども失った。だがすぐに『論語解義』を(再度)買い求め、それを教師用書として新婚の息子(重行)嫁に教えたそうだ。わたしが手に入れたのは増訂53版(46.2.1)で、敗戦直後の紙質粗悪な、しかししっかり読める本文690・語句索引40ページの本だ。もちろん古本で、現在は刊行されていない。この本、戦前の人たちが論語をどう読んできたのかを知る大きな目安になる。
 重遠『新訳論語』は下村湖人『現代訳論語』(1954)のベースになったといっていい。つまりは「だれでも読める」論語で、伊藤仁斎『童子問』がめざしたものだ。といっても、はじめは読み・聞き手に、「孔子のいっていることはわからない。どだい、言葉が通じない」ということもまるだろう。孔子を親近の「オヤジ」「オバン」に置き換えてもいい。でも「読んで、わからないだけではいつまでもはじまらない」という気持ち=心の傾斜がなければ、何にも変わらない。「ふるい」ということは簡単だ。でも「オヤジ」語はわからない、ダサい、といっていると、いっている本人がすぐに「オヤジ」「オバン」になって、ただの古物あつかいにされる。
 『新譯論語』(1955 増訂3版)を手に入れた。著者重遠(1883~51)はすでになくなっている。息子の重行(西洋史学)が「あとがき」を書いている。現行の文庫版(講談社)と「構成」が少し異なる。文庫版では、増訂版では巻末におかれた「『論語』と孔子」「論語序説」が、冒頭「はしがき」のあとに戻された。
 なお本書には、高祖父-祖父(渋沢栄一)-穂積陳重-重遠-重行、5代の「論語」の「引き継ぎ」がこの書から見えるようで、興味深い。一言でいえば、「洒脱」(urbanity)とでもいおうか。これは孔子にも通じる。とはいえ、親が子に「この本を読め」と当の本を手渡す風習がとうになくなった。「子」が自分で見つけるしかない。
 2 日本サッカーチームが、激戦の予選リーグを勝ち抜いた。まったくだれもが予想していなかった結果になった。わたしもだ。戦前、それほどに日本選手団は影が薄かった。その日本が、最終ポーランド戦で、勝ちに行って、一見して、「消極」作戦をとった。後半残り10分、ノーゴール・ノーペナルティでゆけば、僅差で予選を勝ち上がることが可能だというオペレーションを組んだのだ。
 この作戦を、勝負に出ない・試合を台無しにする、スポーツマンシップに反する作戦だといって、「非難」する人が少なからずいる。どんどんいえばいい。問題は、「勝敗」に徹する仕方にあるのだ。勝ち抜くための方法だ。日本の作戦を「消極」とみるのは、はなから間違いだ。勝つために、すべての手立てのベスト1を選ぶ、それがベストを尽くすだ。その重要なワンピースを選んだのだ。安易で半端な一枚ではない。監督が選んだ、薄氷を踏むような方策に(わたしは)思える。
 なぜか? このカードを選んで、水泡に帰したら、監督も選手も、どこにも立つ瀬がない。総スカンクだ。しかも、作戦の難易度は高い。選手全員、1失点はもとより、1ペナルティも犯せないのだ。瞬時のミスも許されないという心組みが必要だ。この作戦を耐えぬいた日本チーム、あんたは偉い。ま、日本ではこのようなとき、謙虚でいなけりゃ好かれない。ましてスポーツだ。勝てばいいのではない。勝つための最もいい作戦をとり、やり抜く。これだ。
 3 安倍内閣が、重要法案をどんどん仕上げてゆく。TPP(環太平洋パートナーシップ条約)、労働時間を選ぶ自由枠の拡大。従来の交易習慣、労働習慣に大きな変化を及ぼす法体制がはじまる。ただし、根本的問題がある。「同一労働同一賃金」は「同一労働時間=同一賃金」でいいの、いけるの、ということだ。すでに日本電産トップの永守は、待ってましたとばかりに、労働時間短縮(時間外労働「禁止」)を謳っている。ドイツよりはるかに長い時間働いて生産性が悪い、という現状を変えるためだ。