読書日々 902

◆181005 読書日々 902
西部・巨人・巨人
 1 明日6日、14:00~ 北海道文学館講堂で、西部さんについて話す。西部邁については、『昭和思想史60年』(三一書房 1968)で「項」を立てて論じたのをはじめ、かなりの数、述べてきたつもりだが、これが最後になるかもしれない。
 もちろん特別に影響を受けた吉本隆明に関しては、何冊分書いただろうか? 書き足りない気がする。私淑してきた谷沢永一先生については、一冊にまとめていない。これは心残りだ。マルクス、スピノザ、ヘーゲルに関してはそれぞれ独立した本を何冊か書いてきた。残念なのは柳田国男論(『柳田国男と日本資本主義』三一書房 1999)がほとんど知られていないことだ。といっても、「知と発見」シリーズの1冊目として出されたのだから、「幸運」といってもいいだろう。だが物書きには、でるだけでなく、大いに読まれ、売れ、評価されるという、ないものねだりに似た感情にとらわれる。これが通弊だ。もちろんわたしも免れてはいない。
 2 西部は「真正保守主義」を名乗っている。「保守」思想の精髄は「歴史」(伝統)認識とその良俗保持にある。西部もわたしもこの点では変わらない。ただし二人に共通するのは、「伝統」認識の不足というか欠落だ。西部はかなりひどい。たとえば「女性」天皇を認めているが、その根拠が、「血」よりは「家族」を重要視するなどという「論拠」だ。モダニストの主張に違いない。
 すでに中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』(徳間書店 2006)が詳論しているように、皇室「廃絶」の「内部」危機は、「女性」天皇にあった。最初の女性天皇=持統のように、「女性」天皇は「つなぎ」であった。ただし皇位継承第一位に当たる「皇太子」に指名された女性天皇は、歴史上、三例ある。聖武の娘、孝謙(=称徳:重祚)、孝謙を裏であやつっていたのが「女帝」=光明(藤原不比等娘=非皇族)で、危うく「皇統」(および藤原氏)断絶の危機を迎えた。あと二例は、徳川期で、秀忠娘和宮が後水尾天皇に嫁ぎ、女子を皇太子に立て、明正天皇とした。900年ぶりだ。最後の例は、後桜町で、これは「つなぎ」であった。
 3 中野重治に『鴎外 その側面』(筑摩書房 1952)がある。鴎外の「よき側面」(ばかり)を活写したもので、『レーニン 素人の読み方』(筑摩書房 1973)ともどもわたしの愛読書の一つだった。が、中野は「素人」の面(つら)をして、二人の「美質」ばかりを述べたものだから、中野本人の「美質」発見力ばかりが目についた。すぐに「いやらしい」読み方の典型と思えたが、やはり嫌いにはなれない。中野の陰湿さをどれほど数え上げても、その美質が廃れるわけではない、と思える。
 いちどだけ、大西巨人さんと電話で話したことがある。「野間(宏)や井上(光晴)だけじゃなく、中野批判もあるのでは?」と尋ねたところ、「………」であった。ま、わたしはこの間合いが好きであった。わたしのように軽口で、あれもいい、これもいう、(ただし『甲乙丙丁』1969のように、肝心要のところには口を閉ざすというほうではなく、とは思っているが)のとはちがう、ひとりよがりと自らなのりながら、『遼東の豕』(晩聲社 1986)の巨人さんにすこしは近づきたい、という思いがあった。
 大西さんのわたし(谷沢フアン)に対する戸惑い(「……」)は当然と思えたが、いまはわたしの旧書庫からは大西さんの本は跡形もなく消えてしまった。もっとも、つい最近、『神聖喜劇』の舞台となった対馬には、米軍の爆撃はなかった、ということを知った。わたしの戦争「体験」はゼロに近いことの証左が、また一つ加わった。
 4 「巨人」は巨人でも、読売ジャイアンツ(プロ野球)のことだ。高橋監督が辞任した。詳しい分析はどうであれ、プロだ。負ければ、当然、監督の責任だ。中日の落合のように、勝っても、人気が出ないという「理由」(reason)で交代になる。原が復帰するらしいが、面白くない。わたしは、人気のない落合監督になって、ガンガン勝ってほしい。巨人は強いからジャイアンツなので、「巨人軍」などといわれてきた。もう一度強くてせこい巨人、川上・牧野野球が見たいね。落合以外にいない。