読書日々 910

◆181130 読書日々 910
コラムを書くことができれば、1000枚余の大冊を書くこともできる
 1 2月に1回、病院に行く。野尻先生に30年近く見てもらっている。ときに先生に新刊を差し上げてきた。ところが今回、自分用にという印を入れた本を渡してしまった。気づけばびっくりするだろう。
 その新刊『大コラム 平成思潮 後半戦』(言視舎 18.11.30)で、520頁・2400+税だ。12年間『日刊札幌』→『日刊ゲンダイ』に書いたもので、時局に関するものを中心に、これだけの量とは思わなかった。それでも、全量の3~4割程度だ。
 締め切りコラムを1つ書いたら、次回候補テーマとどうしても書きたいテーマをあらかじめ選び、だが急に入ったテーマがあったら、それをなんとしてでも書く、これがコラムニストとしてのわたしの習性だった。
 わたしには、自分でいうのもおこがましいが、隠れたベストセラーがある。論文の書き方だ。論文といっても、短文(コラム)から学術論文まである。
 ①『論文レポートはどう書くか』(日本実業出版社 1994) 廣瀬誠との共著 部数としてはこの本が一番売れた。廣瀬君の不遇時代の懐を多少は補うことができたのではないだろうか。
 ビジネスマンの「レポート」の書き方をとくに狙った。これが成功したようだ。現代は、だれもが、とりわけビジネスマンが文章を書く(必要がある)時代だ、という基本認識があった。
 *最初に書いたのが『知的生活を楽しむ小論文作法』(三一書房 1992)で、大学入試に課せられる「小論文」をテーマにした。娘が、書店で買ってきてくれた小論文関連の本を丹念に読んだ。田村秀行、樋口裕一という「小論文」プロにであった。樋口はのちにミリオンセラーを書く。
 ②『入門 論文の書き方』(PHP新書 1999) 「論文」とはいかなるものか? 「小論文」とは何か? それらを含めて、「論文」はどう書いたらいいか? を主題にした。これは「入門」と打たれたが、「初心者」用ではない。わたし自身としては、自分の経験を含め、本格的な学術論文を含めた、だれもが間違わなければ、すなわち、400~1200字(原稿用紙(1~3枚)の論文がきちんと書ければ、400~1000枚の論文が書ける方法を教示した。もちろん、わたしがいまでも実践している方法である。
 *この本はPHP新書としては標準以上の売れ行きを示したが、残念ながら絶版になった。それで『どんな論文でも書けてしまう技術』(言視舎 2014)という形で再登場となった。わたしの自信作(?)だ。
 ③『常識力で書く小論文』(PHP新書 2001) この本は残念ながら予想ほど売れなかった。「大人のための文章作法」とコピーにあるとおり、「小論文」は、受験のためでなく、大人それもビジネスマンの必須技術である、その技術をどう磨くか? これが主題だ。
 2 ただし、文章作法論の類は、いっぱしの文章書きと自認する人にとっては、いらぬお節介のように思える(らしい)。ところがそういう人に、コラム類を注文すると、ひどく苦しまれる。こんな雑雑駁なテーマはわたしになじまない、といわれる。しかし、雑駁だからこそ、論でたたむことが必要になる。三行で書けなんて、そんな単純ではない、といわれる。複雑だから、単純化する必要がある。複雑の根元を明らかにするためだ。
 もっと重要なのは、締め切りがあると、苦しむ。だがわたしにとっては、締め切りがあるから、書くことができる、といいたい。わたしだけではない、だれにとってもだ。
 3 明治の文豪、たとえば鴎外や露伴は多作家だ。とくに露伴は、少年ものから研究論文まがいのものまで、じつに多方面にわたって、丹念に書いた。しかしその読者圏は、じつに狭い。さらに書く人は少ない。そんな時代と、情報社会の時代に書く人数、読む人数はまるで違う。わたしは、1970年以前の読者層、筆者層との違いを踏まえ、わたしもその最後の尻尾に掴まった、PC(ワープロ)で書く時代の書き手を想定していた。
 4 『大コラム 平成思潮』2冊を、書く人間の試行錯誤として受け取ってもらえればさいわいだ。書くのは面白いよ。