読書日々 927

◆190329 読書日々 927
無残なりカブトの下のキリギリス バセウ
 朝起きると雪が積もっている。それが夕方までに融ける。このくりかえし。
 昨年の12月なかばから、ずーっと歯医者に通っている。どうやら土台と柱は立ったかに思える。まだ仮歯だが、何年ぶりかで噛んでじっくり味わうことができる感じになってきた。
 1 二度買い、三度買いをした本がある。郵便受けに届いた本の封を開いて、最近はほとんど本を買わなくなっている(? と自分では思っている)が、それでもエッという仕儀が続いている。
 今週は宮脇俊三『旅は自由席』(新潮社 1991)だった。この本、単行本で、活字は小さいが読みやすい。もちろん装丁は新潮社オリジナルだ。それで妻に贈呈(?)した。最終頁に主要著作表があり、それに読了印をつけているのに、注文まちがいをしたのだ。
 先週、同じ宮脇さんの本『汽車旅12ヶ月』(潮出版 1979)を読んだと書いた。つい書き忘れたことがある。この本、あとがきにあるように、『潮』で連載された。仕掛け人は編集の背戸逸夫で、わたしを定期刊行物の書評欄で連載させてくれ、はじめてその当時は「大枚」に思えた原稿料を長期にわたって払ってくれた恩人だ。40年前になる。上京中、雨の中を常宿のホテルに尋ねてくれた初出会いのことはいまでも忘れがたい。谷沢永一(当時は未見だった)先生が.紹介してくださったそうで、開高健「愛」の同志だった。その背戸さん、急死して3年になる。
 2 今週のトイレ本は、同じ宮脇『日本探見二泊三日』(日本交通公社 1991)だ。宮脇さんの本、よほどのことがないかぎり、単行本で読みたい。これと逆なのが、鮎川哲也のミステリで、光文社文庫、それも新装版で読みたい。活字が大きく、解説を山前譲が書いているからだ。『宛先不明』(文庫版)は、講談社が2冊、光文社が2冊ある。いずれも読みたいとき、発見できなかった結果だ。いよいよボケが本格化してきたかな。
 3 歯科医院は、自宅から1.5キロほどの新札幌駅近くにある。冬期は歩けなかったが、今週水曜はひさしぶりに長靴で歩いた。帰途途中、北大教授から北海学園大に転じた黒田重雄さんの家がある。学年で、西部邁さんが3年、黒田さんが2年上の信濃小学校卒だ。(ちなみに黒田さんの奥さんはわたしの妻と同級生だった。もちろん結婚後に知ったのだが。)
 いつのころからか、親戚ではあっても他家を訪れるのは苦手で、避けてきた。ところがこの日、雪がかなり降った後だったが、ぽかぽか陽気に誘われて、ついつい、帰途途中、黒田さんの家の呼び鈴を押してしまった。黒田さんの専攻はマーケッティング論で、わたしの勤務校(札大)にも教えに来てくれていた。(札大でお会いしたことはないが。)
 それに黒田さん、「信濃」が機縁になって、信濃国から厚別に入植、開拓した歴史を中心に、いわゆる郷土史を書き続けている。郷土史は大変だ。郷土のことを「批判」しにくいからだ。それになにを訴えるのか、その選択が難しい。歴史はすべてそうだが、記述ポイントをどこにおくのかが困難だ。光を当てられなかったモノ・コト・ヒトの恨みを買う。ま、それは仕方がないが、社長が「社史」を作るとき、社長(自身)を中心に、したがって、それ以前をバッサリ切り捨てる(取捨選択の余地ないほどに無視した)手法で書くこと、書かざるをえないことになる。
 かの経営の神様(初代)といわれた渋沢栄一の伝記執筆を依頼された露伴が、渋沢のつまらない後期の事蹟を、執筆拒否よろしく、吐き捨てるように「罵倒」している。
 4 鈴木敏夫『助監督は見た!』(言視舎 2019.3.31)は面白い。映画好きにとっては、見逃しえない傑作だ。出演者(俳優)の言行を見事に切り取っている。
 昨28日観た、『砂の器』が余りにもつまらなく、コマーシャルによってぼつぼつ切り刻まれたせいもあるが、出演者があまりにも下手というか、あの巧者の柄本明までダサい演技に終始していた。鈴木さんならどうこの出演者たちを評するのだろうか、聞いてみたい。ま、時代背景を「現在」に移し替えたのだから、仕方ないところもあるが、無残としかいいようがない。
 主演者の名前を見たとき、ヨソオかと思ったが、鮎川哲也とともに戦後ミステリを牽引した清張(原作)のリメイク版である。天才作曲家がまるでなっていなかった。この作曲家に「殺人」を起こさせた「良心」の塊の男の無神経さ(?)を、「怪優」高島(弟)に演じさせてどうする。自身を良心者と押し出すヒト、「もうオマエは人間ではない!」