読書日々 989

◆200605 読書日々 989 筆名などについて
 今日から、下着を上下一枚ずつ減らした。遅きに失した衣替えというところか!? それほどにこの数日、暖かかった。とはいえ、厚別に比べ、長沼の朝晩はかなり低温だったのだから、夏装備は長いあいだもう少し後だった(ように思える)。
 1 アマゾンで久しぶりに(?)鮎川哲也を検索していたら、うれしや一冊、『殺しのダイヤグラム』(徳間文庫 1983)にであった。ただしアンソロジイで、残念だが鮎川本人の「作品」は収録されていない。鮎川編の文字通り「鉄道ミステリー傑作選」、カッパノベルズの三部作『下り「はつかり」』『急行出雲』『見えない機関車』とはおよそ趣も面白さも違う。それでも「鉄道運行表」である。それに鮎川のアンソロジイは「解説」が秀逸というか、思い込みの激しい迷探偵ぶりを発揮して、じつにミステリアスなのだ。
 いま、現在のところ、雪嶺に手一杯で、ゆっくり収録作品を味わっている余裕が(時間はあるが気分上)ない。最初の大島秘外史(小品)と島田一男に目を通し、解説を慌てて読んだ。(何度か書いたが、カッパの三部作の解説=鮎川とカット=柴又健が短く秀逸なのだ。これを見逃す手はない。だから文庫ではなく、新書版で読まなくてはならない。)
 島田一男はミステリ界のベテランで鬼才の一人、満洲日報(遊軍)記者から作家に転身した。TVドラマ化された「事件記者」は初期のTVミステリドラマの原型をつくり、人気をさらった。鮎川も戦前満洲にいたこともあり、その処女作とでもいうべき『ペトロフ事件』も処女作『黒いトランク』も鉄道ミステリの傑作というべきか、最高傑作である。何度も記したように、鮎川作品と対質すれば、トラベルミステリという点にかぎっても、清張『点と線』も「数段」落ちるとみなければならない。クロフツとクリステイの差ほどとはいわないが。
 鮎川の「解説」は、とくにペンネームをめぐる迷走劇がミステリさながらだ。結局、本名は「判明」したが、大島は何者であるか、は解明できていない。
 2 それではというわけではないが、わたし(鷲田)も、ペンネームを使ったことがある。
 どちらも学生時代(といっても博士課程を中退=単位修得したのが1973年で31歳になっており、就職したのが33歳)である。
 一つは上田三郎で、友人の叔父(薬局)であり、吉本隆明批判を書いた。もう一つは加藤賢治で、妻の父でわたしの中学の教師である。こちらは、最初期の短・中編で、まとめて『イデオロギー闘争の一里程』(自家版 187頁)として、「かつての自分」を忘れないために、一冊にした。
 ふたつともミステリ作家の筆名のように、凝ってはいない。平凡な名だが、わたしにとっては、懐かしくもあり、恥ずかしくもあるペンネームだ。それに義父は鮎川と生れも大学も同じということがあとでわかった。
 鮎川哲也も、たくさんのペンネームをもつが、その「失敗」(原因はミステリぽく? 売れなかった)の結果もあって、本名中川哲也から、鮎川哲也になった(ようだ)。平凡な名がいいというが、なにが平凡なのか、そこが難しい。
 「鷲田小彌太はペンネームか」と何度も聞かれたことがあった。「鷲田」の名の由来も聞き知っている。実際に検証したわけでもない。本当(right)だと思うが、事実(true)かどうかもわからない。坂本竜馬の「坂本」も、福沢諭吉の「福沢」も、実のところ、日本のどこから来たのかは、判然としていない。もちろん、徳川家康だって、明智光秀だって、その先祖がどこ「発生」なのかは、判然としていない。「鷲田」などより、ずっと「不分明」なのだ。
 もっとも、「鷲田」なんぞは呑百姓でも名前をもつことができるようになった時代の産物で、福井のかなり広い範囲にいまでも散らばって存在しているようだ。そうそう、つい最近も、池袋の再開発(?)をめぐる「アドマチック……」番組で、トキワ荘に関連して、鷲田和彦(さん)が登場した。
 わたしの祖父の弟の次男で、歳はわたしよりわずか一つ上にしかすぎない、高校も一つ先輩の「和彦」さんが実在した。残念ながら40代の半ばに事故死している。和彦さんが早世しなかったなら、わたしも連なる「鷲田」の趨勢も変わっていたと思える。
 ま、探さなくても、「鷲田」は、係累上無関係(?)でも、身近にかなりの数存在する。そうそう「朝日」で「今日の言葉」を連載している鷲田清一氏の同姓同名が、私のイトコにいた。その消息を長く聞かないが、どうしているだろうか? 何、おまえの消息だって同じようなものじゃないか、といわれれば、否定できないが。