読書日々 939

◆190621 読書日々 939
東室蘭行き各駅停車
 1 18日(火)、目覚めてすぐ、ズックをはき(もちろん顔を洗ったが)厚別駅に向かった。6時28分だった。パスモはつねにショルダー鞄に入っている。どこに向かうのかは考えていない。とりあえず、白石に、そして千歳線に乗り変えた。快速だ。ひさしぶりでもないが、懐かしい。
 通勤電車ではないのに、すでにかなり込んでいる。もまれながら、恵庭で泊まる前、すぐ来るつぎの電車が東室蘭行きの鈍行だ、というアナウンスが入った。こんな長目の鈍行がまだ残っているとは思ってもいなかった。とたんに下りていた。
 すぐあとにやってきたジーゼルは2両立てで、かなりすいている。これはいい。しかもこの車両、ガタビシいっているが、左右に4席ボックスと2席ボックスが並ぶという変形仕立である。そして何よりいいのは各駅停車だ。一瞬、沼ノ端で下り、文字通り、ローカル線となった室蘭(本)線に乗り換えようと思ったが、どっと高校生が入ってきた。面倒だ。
 苫小牧をすぎると、高校生の出入りが激しい。とつぜん社内アナウンスが入り、次の駅以降はICでの乗下車は出来ませんという。同じJR線だが、ま仕方ない。わたしの小さいとき、登別という駅はなかった。幌別であり鷲別だった。なんか登別温泉ご用の駅がたくさんできている。これらを各個撃破し、トンネルを抜けると、室蘭だ。といっても本線は〔室蘭〕市内には行かない。東室蘭で下りて、室蘭行きに乗替える必要がある。東室蘭から室蘭までが下り坂、それに近くない。終点で降りたが、パスモはきかない。2600円余り現金で払わされた。ずいぶん乗ったと思えるが、まだ10時になったばかり。
 人がまばら。通りは車がいき交うだけ。店も開いていない。おなかは減っていない。日が照る中、旧室蘭駅の観光案内所に向かう。10年前来たときから比べ、また一段と賑わいが減った。
 案内所で、札幌行きの高速バスがすぐあることに気づき、10時30分のバスに乗り込む。まったくせわしい性格だ。自分のことだが、どうにもならない。この中央バス、室蘭市内は各停で、すぐは高速に乗らず、白老までは客の乗るところにえんえんと停まる。ためか社内はほぼ満席になる。白老で高速道路に乗り、一気にスピードが上がる。
 大谷地には10分遅れて12時30分に到着。迎えに来てもらった。サイゼリアでスパゲッティを食べた。安い。
 ただ気まぐれの半日旅だ。だが多少気分はよくなったかな。仮義歯がとれるまでは、やっかいだ。
 2 もう30年前になるか。室蘭の木村政子に、哲学講座を月一開いて欲しい。生徒は大学教師、作家、看護婦等々で、ペイは払えないが、宿と飲み代は持つという。休みの月はあったが、計10回、西洋哲学の最初から説き起こし、構造主義までをたどる大学の哲学コースとしてごくオーソドックスなものだった。
 木村はのち「爛熟」で道新文学賞(小説)をもらったが、『北方文芸』の編集をしていた関係でつながりが出来たのだった。長沼から室蘭まで車で通ったが、近かったのか遠かったのか、いまはおぼろである。それでも講義の「成果」はわたし自身にこそあった。のちに『はじめての哲学史講義』(PHP新書 2002)の原型になった。ただし「生徒」には難しすぎたようで、哲学=哲学史(歴史)というのはなじまないようであった。
 3 『福沢諭吉の事件簿』Ⅰ、Ⅱはもう少しで刊行される。Ⅲがゲラが出たが、とんだ「混乱」のため、書き直している。こういう経験ははじめてだ。やはり痴呆が進んでいるのかな。
 日清戦争といわれる。たしかに戦ったのは日本と「清」だ。ただし宣戦布告したのは日本政府で、応じたのは清の北洋軍閥(天津)の李鴻章、朝鮮の事実上の支配者で、その代官が(後の中華民国初代総統)袁世凱(1859~1916)だ。係争の主題は朝鮮の隷属か独立かであった。その舞台は黄海や関東省におよんだが、後の満州事変と比較していうなら、これは朝鮮事変の拡大版といえるものだった。