福沢諭吉の事件簿Ⅰ(言視舎)

福沢諭吉の事件簿Ⅰ

1 諭吉は諭吉の「著書」のなかにいる?
 わたしの「人生時刻表」によれば、『日本人の哲学』(全5巻・全10部)を書く、が「最終」便であった。幸い、とにもかくにも仕上げることができた。心身ともにヘロヘロであった。
 「山」から下りて、「愛郷」に戻った。ところが、車をその他いくつかを捨て、半年もたったころ、「余命」を与えられたと感じることができるようになっていたのだ。もう少しならできるのではという思いが湧いていた。
 「評伝・福沢諭吉」論は「長い」(?)あいだ暖めてきたテーマだ。「著者」は「著書」のなかにいる、それがわたしの変わらぬ書く作法〔マナー〕である。ところが諭吉の「魅力」は、なかなかに複雑で、諭吉「主義者」や「批判者」が提示するものとはうまく重なってこないのだ。  わたしの作法はやはり「書かれたもの」のなかにいる諭吉だ。それを「発見」したい。
2 フィクションで書いた理由
 「歴史」とは「書かれたもの」の意で、「創作〔フィクション〕」である。東の司馬遷『史記』も西のヘロドトス『ヒストリアエ』も、そして日本の『日本書紀』も、文字通り、「書かれたもの」である。エッ、「史実」に基づいた「歴史」を無視するの、というなかれ。「史実」といわれるものも、「書かれて」はじめて「歴史」になる。つまりは「創作」であるほかないのだ。
 諭吉の「評伝」は、フィクション(小説=創作)で書くほかない、そう断を下し書きはじめたのは、もうかなり前になる。はじめて「取材」めいたことを試みた。諭吉が歩いた「跡」のほんの一部を、たどってみた。芝を中心にしてだ。足を伸ばして(だが鉄道とバスで)熊谷、太田までたどった。
 ただし小年時からわたしの旅はつねに地図たよりであった。文字通りフィクションである。六十を過ぎてから、外地にいくつか旅をしたが、書くと雲散霧消する「夢」に近かった。
福沢諭吉の事件簿Ⅱにつづく)

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