読書日々 991

◆200619 読書日々 991 妙におしゃべり調になる
 昨18日、久しぶりに散髪に行く。近所のおおさか理容院。さっぱりしたのやら!?
 天気はよいが、最高20度前後で、少々冷える。ま、寒さ嫌いだから仕方がない。
 1 この数ヶ月、録画したN響演奏を、TV音で、何度も何度も聞いている。頭の響きにはバイオリンが最上と思ってきたが、ピアノも遜色ないことを実感。遅きに失したね。今もルガンスキー(1972~)のラフマニノフの響きが聞こえるが、頭を超えて腹にも響くところがある。
 この部屋は、ラジオの受信がよくよく乱れ、ボーズではFM音が隙間なく波乱を起こすので、TV音にしくはない。
 2 雪嶺の『同時代史』(全6巻)がようやく完読をむかえつつある。
 「同時代観」を「我観」に連載を始めたのが大正15/1で、雪嶺67歳、万延元年~昭和20年間を、昭和7年までを順調に書いてきた。ただし昭和19年までだ。昭和8~19年は、敗戦前の20年と敗戦後に書かれた。ただし、12年欠(病気等で休刊等)、13~20年は357~383頁(スカスカ)である。雪嶺、同年11.26死去、享年86歳。
 雪嶺は、「開国」(開港)の年(1860)に生れ、敗戦の年(1945)に死去。日本ふたたび「鎖国」になった年だ。「同時代史」を書き終えて、雪嶺は歴史の「先見」者となることはできなかった、という事実を突きつけられた。たしかにそうだ。
 じゃあ、その史眼は誤っていたのか? 誤っていたとして、どう修正すればいいのか? 問題はここにある。でもそんなに簡単かな? 史眼を持ってしまうと、遠い近いに関係なく、誤る。未来は予測不能なところがある。単純にいえば、予測不能だ。「異常気象」というが、「気象」は常に「予測不能」なのだ。じゃあ、下駄を投げて量れば、というのか? 否。「予測」するな、というのか? 否。「予測」も「先見」も、条件次第ということだ。「条件」とは基本的に「比較」である。時と所を選ぶ。
 満州事変なんぞ、ロシア革命=国家社会主義に比して、温和なものだ。ヒットラーの国家社会主義運動と比較しても微温だ。ただし英米仏のニューディール(社会主義政策)に比すと微温ではない。等々。
 しかし、雪嶺に、ロシアの共産主の現実も、ドイツナチの国家社会主義の現実も、日本の国家社会主義の現状も、ましてや英米のニューディール(社会主義)も、分析できてはいなかった。(おまえにできるか、といわれれば、過去の事例としてスケッチ(論理化)することはできる。でも素描だね。雪嶺にはそれさえもない。「満鉄」の分析もない。不足だらけだが、デモクラシイの「欠損」を素描はできている。
 別な視点もある。思想家として、雪嶺は長く生きしすぎた。たしかにそうだ。70歳、満州事変(1931)以前に書くことをやめていれば、「同時代史」も符牒を合せることができた。そういっていいだろう。じゃあ、わたしは78だが、書くことを止めるか? やめていないね。おまえは耄碌したのだ、といわれれば、肯んじざるをえない。こんな問題も雪嶺はわたしにつきつける。
 それに、日米開戦は、大東亜戦争は「無謀」だったという批判は、正しいとしても、日清・日露戦争も無謀だった、満州事変ももちろん無謀だった、……ということになる。こういう流れの議論をしたくはないね。あんなビッグな冷蔵庫を使う米人に、氷の冷蔵庫もない日本人が勝てるわけがない、というのと似ていないか?
 3 辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』(中公文庫)に小品「三宅雪嶺先生」(昭12.12)がある。
 仏文の辰野(東大教授)は、学生時代、乱読の人で、雪嶺『宇宙』も読んでいて、一夜、雪嶺の家に伺い、歓談したときのこと、雪嶺夫人(花圃)が目を悪くしている様を書いている。この夫人、樋口一葉の先輩で、なかなかうるさい人であった。
 雪嶺は、日米開戦直後の昭18年に文化勲章を受け、その直後夫人を失い、頼りにしていた娘婿中野正剛(1886~1943)を自決でなくしている。過酷だね。