読書日々 993

◆200703 読書日々 993 隔日コラムは、容易だ
 梅雨のような初夏に入ったような日が続く。雨が残っているが、蒸し暑い。ただしわたしには気分がいい。酒も旨い。
 1 「読書日々」といいながら、「週刊」である。週一だから、容易か? そんなことはない。
 いま日課(task norma)として読んでいるのが、三宅雪嶺の「隔日」コラムで、昭和7年8月から昭和20年12月まで、「帝都日日新聞」に連載され、毎回800字、それをまとめて毎年1冊、同新聞出版局から単行本となった、全12冊プラス1(『雪嶺絶筆』実業之世界社)である。生前出版されたコラムとしては、内容も分量もすごい(wonderful)。昭和史の貴重な財産だ。あっというまに読めると思えたが、なかなかどうして、脳と心臓にずしんとくる。時間も労力も必要する。
 雪嶺の『同時代史』(全六巻)は、書くだけでもすごい。だが「過去」(ある程度、謬りも含むが、評価の決まった時代)を印す「歴史」だ。ただし残念ながら、その要部は、結局、隔日コラムが始まる時期までしか、書き終えることができなかった。つまりは「未完」である。敗戦に至る重要な時期が欠落している。
 2 このコラムは、「二日に一回」、各2枚、新聞コラムを12年間続けた。すごい。しかも「時評」である。言葉の正確な意味で「同時代史」=同時進行記である。
 つまりは致命的なものも含めて、「誤評」を免れえない。だが「誤謬」を恐れては、「いま・このとき」を評することはできない。したがって「訂正」(trial and error)しながら進む他ない。だが「人間」である。書いたものである。「訂正」することは容易だが、「謬り」は消すことができない。「書く」ということの宿命だ。雪嶺も「訂正」は得意でない。朝令暮改はlack of principleとして嫌悪、忌避する。恥とすること憚らない。他者にもそれを要求する。
 3 しかし注記しなければならない。「二日に一回」を、それも12年も続けた。もうそれだけで難事だ。こう思えるだろう。
 だが、である。定期刊では、年刊より季刊、さらには季刊より月刊、月刊より週刊、週刊より旬日刊、旬日刊より日刊、日刊より朝夕刊のほうが、書きやすい。事実、「長期」連載が容易だ。
 第一に、ウオーミングアップ(準備)が簡単だ。ラインナップ、次回、次々回、そして……のテーマも容易に浮かぶ。表題も、その内容も、そして訂正も、「容易」というか、誤ったと分ければ、元に引き返すか、方向転換が可能だ。迷路に踏み惑うことや、後戻り不可能な墓穴に落ちることを避けうる。
 4 それに書くのが雪嶺その人である。雪嶺は、口述筆記を常とした。じゃんじゃん発表している。その筆記者の一人に若き日の内藤湖南などという大物まで含まれている。ゴーストライターもたくさんいたんじゃないの、と思えても、少しも不思議でない。(もちろんわたしはゴーストを否定しているのではない。)
 雪嶺が発表したものは、すごい量だ。そのうち単行本になったのは、およそ半分と見ていいのではないだろうか? ただしこの隔日連載コラムは、自筆原稿・校正なのだ。まあ、リキが入っているとみて間違いない。(というか、老後=72歳以降の生活費等を稼ぎ出すためにも、大いに役立ったというべきだろう。)
 5 この子ラム、わたしにとってヘビイなのは、昭和7~20年という「時局」の重みにもよるが、もう一つの「同時代史」、同時進行する現在史=「時」論として読むからである。雪嶺の哲学・政治経済・人生人物論の凝縮であり「総括」として読む必要があると考えるからだ。
 雪嶺は、生きているあいだに、自分の歴史総論の「方向」が誤っていたことを「証明書」付きで確認しなければならなかった。無念であり、無残だったろう。「鉄槌」が下されたのだ。「有罪」(ギルティ)である。
 だがそれは雪嶺哲学の敗残証明書ではない。雪嶺もその哲学も、骸と化したのではなかった。そのためには、雪嶺はどこで方向(logic)を失ったのか、誤ったのかを明らかにしなければならない。これはなかなかにスリリングなことだ。他人事ではない。我が身にも迫ることだからだ。