読書日々 994

◆200710 読書日々 994 今代司の味はどんな味
 盛夏である。といっても最高気温が26度ほどだから、朝まだき、部屋にいると薄着では少々肌寒い。ビールが抜群に旨い季節だが、昨日、黒ラベルからクラッシックに代わった。(わずかだが、安いらしい。)札幌では、サッポロがキリンである(などと郷土愛丸出していってみることがある)。
 1 ずいぶん前になるが、伊豆諸島の式根島で、町(村?)あげての、キリン缶ビールの新商品試飲会に招待(?)されて、出た。巡礼友の会で訪れた折だった。詳細は不明だが、町長や漁業組合長が音頭をとっていたようだが、開発に莫大な金を掛けた(ような)この缶ビール、エッ?!というような代物で、「上品」(!!)すぎてまるで屁のようなという形容がぴったりのスカタンだった。
 山のように積まれた缶の過半は飲み残されたのではないだろうか。ビール第一のキヨさんも手が進んでいなかったし、組合の若者も含めて多くは焼酎をあおっていたように憶えている。結局、この新製品、発売されなかった。あのキリンにして、こんなことがあるのか、という思いであった。
 2 トイレ本は、吉田健一『気車旅の酒』(中公文庫 2015)を、とつおいつ開いている。もちろんトイレである。床に置くわけにはゆかない。
 中公の最近の文庫本は、活字が大きくて助かる。本の中身は、汽車旅行の車中と宿に着いてからの酒飲話で、常に二日酔いのゆえ(と書いている)か、酒(初孫や今代司)の名前は書いてあるが、居並んだ料理名はまったくおぼろである(かのようだ)。蟹のグラタンとかニラの卵とじというように、名はあるが、味はおぼろである。ま、それでいいのだが。
 蔵書を整理したとき、えいやっと、吉田健一著作集(全30+2巻)まで古本屋にうっぱらった。いまでも惜しいが、再度購入しようと思えば可能なのに、根がケチなのか、できていない。
 ただし開高健や江藤淳と違って、吉田の文章は自分に「酔って」いない。書中、秀逸なのは、八高線(八王子~高崎)のくだり(「或る田舎町の魅力」)で、この線に何度も乗ろうとして乗らなかった(直通がなく、したがって全乗するには、1泊を要す。ためにやはりケチで、時間を惜しみ、宿賃を惜しんだ結果)ことが(このエッセイ集を読んだいまにして)悔やまれる。
 吉田健一の父茂は(その父竹内綱は土佐っぽで自由民権派の幹部)、反骨精神生半可でない。養子先の資産を蕩尽したそうだ。息子健一は学者・作家になったが、息子にとっての吉田茂は、なまなかのものではなかったようだ。『父のこと』(中公文庫 2017)がある。
 最後に一つ、吉田(1912~77)はヴァレリイ(訳業/研究の嚆矢ともいえる)『精神の政治学』(創元選書 1939)で注目されたが、戦後、毎回のように新人として登場した司馬遼太郎や水上勉の作品を取り上げ、懇切に評した、秀逸な『大衆文学時評』(垂水書房 1965年)を残した。記憶しておいていい。
 3 雪嶺に『人生八面観』(実業之世界社 1955)がある。遺稿集で、1941年2月から45年11月までの、まさに最晩年に発表された論稿集である。550頁を超える大冊で、これなしには、大東亜戦争時における雪嶺の政論を知り、的確に評価することができない、貴重な遺稿集である。
 これこそ、最後にとりあげる雪嶺評価の貴重かつ不可欠なテキストとなるべき単行本であり、わたしでもこの著を頼りに雪嶺論を仕上げる希望と持ちうるのである。
 雪嶺は、何をもってその政論を誤ったのか? その急所を見いだし、解明しなければ、わたしの雪嶺評価は定まらない。雪嶺の謬りを避けようもなく提示するこのような遺稿集を刊行した野依秀一の意図は、あるいは雪嶺の大東亜戦争史観は誤っていなかった、を証明する資となる、としてのことだったかも知れない。しかしそれでもいいのだ。言論人雪嶺の言説がここにある。それ以外から、雪嶺の最晩年の認識を判断するマテリアル(資料)はない、という意味で、雪嶺がこの論考集でこそ判定される、幸運な哲学者であったといっていい。西田や田辺、三木清や戸坂潤と異なった「異例の哲学者」たりえた理由である。